児玉源太郎は、日露戦争で活躍された満州軍総参謀長です。
上記絵葉書の銅像は、1938年(昭和13年)に制作され、その満洲、新京の児玉の銘を冠した児玉公園内に設置されます。
終戦時のこの銅像の様子を、満州で第二航空軍に配属されていた佐藤友治さんの著書「朝が来て知る捕虜の命: シベリア抑留生活千余日」に書かれています。
それによると、非日派の手によって、この像の首が切り落とされていたそうです。
この銅像の制作したのは、彫刻家北村西望です。
あの長崎の平和記念像の作者ですね。
この時期の西望は、多くの騎馬像を依頼され制作しています。
その作風は、彼独自のあのゴツゴツした派手な表層はなされず、流れるようなラインの自然な姿を像にしています。
それにしても、同じ彫刻家の作品が、一方で平和の記念とされ、一方でレーニン像やフセイン像のように圧政の象徴として扱われる。皮肉ですね。
ちなみに、同じ日本の統治下にあった台湾には、新海竹太郎作の児玉源太郎像があり、現在国立台湾博物館が所蔵しているそうです。
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