濱田三郎 原型「有馬研究所満十年記念」メダル 1936(昭和11)年
裏側には齋藤素巌原型の研究所の図
濱田三郎 原型「第七回全国中等学校籠球選手権大会」メダル 1930(昭和5)年
不明
濱田三郎は1892(明治25)年12月生まれ。東京美術学校を卒業。大正15年帝展に初入選し、その後、齋藤素巌らの構造社に参加、会員となる。
また、日名子と共に国風彫塑会に参加、聖戦美術展などいくつかの戦争美術展に出品する。
戦後しばらくは在野で活動するが、齋藤素巌に誘われ日展に出品、1939年には「楽人」が菊華賞を受賞する。
彼の第一回構造社展における評価は、高村豊周にして、「濱田三郎氏は新人で、あまり名を知られていないようではあるが、今度の出品が示す通り驚くべき才能の人である。」「自然の中に伏在する幾何学的必然を洞察する氏の叡智からの組み立てである。これは、日本ではユニイクの美で、突如として出現した新惑星の輝きを示すものである。」と評された。
マイヨールやユーゴスラヴビアの彫刻家のメストロウィッチの影響を受けた濱田三郎は、抽象彫刻への過渡期の作家と言えるでしょう。
それゆえ、日本彫刻史上に名が出ることは少ないですが、こういった作家無くして戦後の彫刻史も無いことは確かだろうと思います。彼の原型製作したメダルもユニイクで、僕のコレクションの目玉の一つです。
1973(昭和48)年11月死去。
このレリーフは、濱田のサインであるS.Hと刻まれてますが、
濱田の作であるかどうかは不明です、どうでしょうか??
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