明治維新後の日本は、世界の一流国を目指すべく、スポーツにおいても官民あげて取り組みました。 そんなスポーツに対し、トロフィーやメダルなどを制作し、芸術面で関わったのが日名子ら「構造社」の作家たちでした。日名子実三の仕事で有名なものに、サッカーのJFAのシンボルマークである八咫烏があります。
しかし、昭和に入り時局は戦争の影響が濃くなっていき、外来のスポーツもその空気の乗って変わっていきます。用語の日本語化やスポーツ大会の規模の縮小、変わって体操競技の規模拡大などが行われます。国粋意識が高まるにつれ、武道もまたより時局に合ったものをと考えられ、そんな中で剣道は銃剣術など訓練としての競技を行うようになります。
これに沿って美術家たちも、そういったメダル等を依頼され作成するようになり、特に日名子実三はスポーツだけでなく、軍に関わる勲章や記章などを多く制作します。
高崎航著「帝国日本とスポーツ 」では、日名子は芸術の面でスポーツと戦争とを結びつけたと評します。
このメダルの大会は、昭和14年に報知新聞社主催で行われたようです。「聖戦」とは昭和12年に始まった支那事変を指します。
野戦大会とは、銃剣術も含めた野外での剣道大会を示すのだと考えられます。
メダルに描かれた兵士は、刀を持つ人体と言う難しい主題であり、しかもそれを円形のレリーフにしているものだから、若干無理のある体勢です。しかしその結果、迫力ある動きをした人体像になっています。また背景のシルエットの群像によって、戦場の緊迫感が表現されていると言えるでしょう。
日本の戦争画は、1970年にアメリカから、無期限貸与という形で日本に返還され、現在東京国立近代美術館 で時々展示がなされます。研究も多くなされるようになり、関連本も出版され、目に付くようになりました。
しかし、戦争美術は絵画だけでありません。彫刻家もまたこの時代を生き抜いていました。そうして制作されたこのメダルのような小さな戦争美術を、このブログでいくつか紹介できればと考えています。
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