齋藤素巌は前回紹介した日名子実三と共に、1926(大正15)年、彫刻家の在野の団体である「構造社」を立ち上げるなど、戦前から戦後にかけて活躍した彫刻家です。
この構造社は、「彫刻の実際化」を標榜し、彫刻作品だけでなく、このようなメダルや建築など実社会に近い作品を制作します。
「紀元二千六百年」は昭和15年のことであり、この年は神武天皇即位2600年を祝い、多くの行事が行われます。同年には東京オリンピックが開催される予定でしたが、日中戦争が始まった為に 流れてしまい、その代わりとなったのがこの「東亜競技大会」でした。
このメダルの特徴は、奥へと重ねられた人体像であり、そこにはユーゴスラヴビアの彫刻家、メストロウィッチの影響があります。メストロウィッチは、ロダン以後の彫刻家として当時の日本の彫刻界に受け入れられ、中でも「構造社」の若き作家たちの作品には、その影響が強く出ています。
メストロウィッチのレリーフ(「メストロウィッチの彫刻集」より) |
もう一つ、このメダルの重ねられた六躰の人体像からいえることは、その大会の趣意を描いているということです。
http://bunzo.jp/archives/entry/000884.html
西洋のオリンピックに代わるアジアの競技大会。この東亜競技大会には日本、満洲国、新生中華民国、比律賓(フィリピン)、布哇(ハワイ)、蒙古が参加しました。つまり、この六躰の人体像はこれら参加六国を指してるのだと思います。そのアジアの国々が同じ一点を指す...そんな政治性を感じさせるレリーフです。
0 件のコメント:
コメントを投稿