皇太子殿下(後の昭和天皇)が1921(大正10)年に行った欧州への御巡遊を記念して造られたメダルの販促絵葉書です。
販売元は尚美堂寳飾店で、明治33年創業より現在まで続く老舗の宝飾店ですね。
まずは、絵葉書に書かれた内容を記述します。
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造幣局製 皇太子殿下海外御巡遊記念章
本章意匠は東京美術学校作製 御肖像は宮内省下賜 艦姿は海軍省より交付されたる写真により謹刻さる
第壱種記念牌 直径二寸サック付
九百五十位銀製 金八円七拾銭
青銅製 金壱円弐拾銭
右箱代及送料 三箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
第弐種記念章 直径八分サック付
九百位金製 金拾九円五拾銭
右箱代及送料 四箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
九百五十位銀製 金八拾銭
右箱代及送料 十箇以内同一 {内地 金弐拾八銭 植民地 金五拾五銭}
右箱代及送料 三十箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
申込 直接御来店予約御申込の方は毎日自午前八時至午後六時迄(日曜休業)願上候
郵便申込は尚美堂記念章係宛 各品名を明記し其代價に送費を加へ為替又は振替を以て前金にて御申込相成度候
発送 本品は九月一日以降造幣局より御廻付次第御申込順により書留にて御送付可申上候
申込取扱元 大阪市東区淀屋橋南詰 尚美堂寳飾店 振替口座大阪四二六番
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この絵葉書ですが、表の消印より大正10年の8月頃に送られたことがわかります。
丁度、発送一ヶ月前になるのでしょう。
また、上記の文章から、造幣局製のメダルが一般の店に卸されて販売されていた事がわかります。
そして、大き目のメダルを「記念牌」、小さいメダルを「記念章」と分けていたこと、内地と共に植民地まで通販網があったこともわかります。
「本章意匠は東京美術学校作製」とありますが、これは誰の作でしょうか?
大正初期より東京美術学校で教えていたのは水谷鉄也や畑正吉です。
その後、大正10年の5月に教授陣が一新し、朝倉文夫や北村西望が起用されます。
朝倉文夫らにしては発売ギリギリ過ぎることから、造幣局の技術顧問であった畑正吉の作なのかもしれません。
たしかに畑正吉らしさのある像ではありますが、もしかしたら西郷像のように学生を含めて合同制作したとも考えられます。
後に天皇となる人物の像ですからね、作家個人の制作物にするのは重すぎたのかもしれませんね。
記念碑の方を持ってますが、側面に高岡銅器と刻印があり人物像の右端にNakanoとあることから高岡大仏原型師の中野双山の可能性があると思います。
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