2018年3月7日水曜日

ロシアの絵葉書

「デッチスキー公園ノ銅像(浦潮)」絵葉書です。
「浦潮」とはウラジオストク。
この絵葉書はウラジオストクのデッチスキー公園に建つ銅像前で撮った写真から作られたものだと思われます。
ウラジオストクと日本との関係は古く、日露戦争後には日本人街が生まれます。
この絵葉書は、訪れる日本人に向けて売られたものでしょう。
あの与謝野晶子も、シベリア鉄道に乗ってウラジオストクまで来ています。


絵葉書にある銅像ですが、ネット上を色々と探しましたが、見つからず...

しかし、公園内に建つ同じような台座を見つけました。
ただ、上にある像の姿が異なります。

この像は、「セルゲイ・ラゾの記念碑」だそうです。
セルゲイ・ラゾはロシア革命の戦士だそうで、そうなると、この絵葉書の時代に現状の像と同じ人物の像が建っていたとは考えられません。
当時の像を破棄され、今の姿に変えられたのでしょうか。
台座に比べ、像が新しい(キッチュ)である理由も説明できます。
となれば、かつてこれは帝政ロシア、ロマノフ王朝の誰かだったのかもしれません。
だからこそ、それを写真に撮り、記念の絵葉書としたのでしょう。

済軒学人著「浦潮斯徳事情」によれば、ウラジオストクには、美術奨励会なるものもあったようで、この地で仕事をした日本の芸術家たちもいたことでしょう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932607

そういったこの地の成果も全て、あのシベリア出兵(の失敗)の結果、全て失ってしまったのでしょうね。

もう一枚は、ロマノフ朝第13代ロシア皇帝であるアレクサンドル3世の銅像の絵葉書です。
この銅像は現在も存在しています。
https://fr.dreamstime.com/photo-stock-statue-%C3%A9questre-%C3%A0-l-empereur-alexandre-iii-st-petersburg-image58721034
ただ、絵葉書にある台座からは外され、別の場所に置かれているようです。

どの国のどんな銅像に於いても、始めは恒久的な顕彰を目的としながらも、なかなかそうはいかないものですね。

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