1964年に西武百貨店で行われた岡本太郎展のカタログです。
購入者の記入があり、展覧会最終日に、このカタログを購入したようです。
その裏表紙にサインが!
このカタログは、最近行った古書市の百円均一の中から見つけ出したものです。
岡本太郎のサインとしてはラフに書かれており、本物かどうかわかりませんが、もし本物だとしたら嬉しいな。
こういうのが出てくるから古書市巡りがやめられません!!
岡本太郎は、滞仏中に民俗学を学び、帰国後、東北や沖縄、縄文土器などを彼にとっての民俗学的視点から語り評価しています。
日本の民俗学と言えば柳田國男が有名ですが、彼と岡本太郎との違いは、柳田國男が神の目線、つまり第三者の視点で日本を語っているのに対し、岡本太郎は、その当事者として、または当事者を模して語っていたことではないでしょうか。
それは柳田國男は研究者であったのに対し、岡本太郎は芸術家であり、その思想や言葉そのものが彼の芸術であり、彼の血や肉だと考えられるからです。彼が語る東北や沖縄、縄文の姿は、彼の芸術の一部だからです。
しかし、柳田國男が、その研究対象に自己を同化させなかった、またはすることができなかったことからわかるように、その民族(コミュニティ)からすれば、当事者であればあるほど自身を神の視点から語ることなどできません。民俗学とは、戦中のドイツや日本がそうであったように、当事者の語りでは歪みを生む危険があります。
では、岡本太郎は神の視点を持った当事者であったのか?そういう矛盾は可能だったのでしょうか?
私は、先に書いたように岡本太郎は当事者を模していただけで、どこまでも異邦人だったのではないかと考えます。
フランスから帰り、軍隊に入ってまでも、彼はどこかこの「日本」に馴染めなかったのではないかと思います。
ゆえに異邦人である岡本太郎の語り口は、丸山真男が日本を語るときのような切羽詰った感がない。
理想論であり、だからこそわかり易く、メッセージが届き易いのではないでしょうか。
彼の言う対極主義というのは、日本人であり、日本を語りながらもながら「日本」人でない自身の芸術観を語ったものではないかと思います。
それは蝙蝠のようであり、半妖怪のネズミ男みたいなもので、悪く言えば中途半端...それが岡本太郎芸術ではないかと思っています。
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