2013年6月9日日曜日

平和記念東京博覧会 絵葉書


「平和記念東京博覧会」は、第一次世界大戦終戦を記念し、1922(大正11)年、東京府主催で行われた博覧会です。
4ヶ月間の開催期間の中、1100万人の動員があったそうです。
この博覧会には、 日本の高い技術を展示する「蚕糸館」や「電気館」、そして朝鮮や台湾の文化を展示した各館が、当時の新進建築家によって建てられました。
会場の装飾を手がけたのが彫刻家の新海竹太郎らで、上の絵葉書にあるような噴水も、彼らによって制作されます。
この噴水の頂上にある子供の像「童子群像」は国方林三、ペリカン(?)の像「水禽」は堀進二の作です。

こういった博覧会は、彫刻家の名の上げどころであり、屋外だけでなく、屋内の展示場にも、数多くの彫刻作品が展示されます。
 

  
手元に当時のカタログがあるので作家を抜粋してみます。
石井確治「舞」「蓮歩」、小倉右一郎「実り」「平和來」、清水三重三「唄」、長田満也「芽生」、中村清人「池水」、清水彦太郎「浴後」、中村翫古「踊」、高村光雲「蘇東坡」、内藤伸「和琴」「六道将軍」、朝倉文夫「狛犬」「本山氏の像」、後藤清一「摩登伽」、赤堀新平「秘曲」、 堀江尚志「夫人の坐像」、齋藤素巌「早春」「疲れた人」、安藤照「習作」、陽咸二「無」、吉田三郎「牧夫」「l心」、中野桂樹「海のささやき」、木村五郎「旋れる桃太郎」、松田尚之「習作」、日名子実三「工房の女」、佐々木大樹「猫」「話」、荻島安二「M子」「鏡」etc... 

カタログ掲載された作品数でも76点。
官展系、日本美術院系、朝倉派、その後の構造社の作家等々と、多くの作家の思惑を超えて集められたことがわかります。
無いのは地方の作家くらいでしょうか。

カタログにカラーで掲載されたのは、すべて着色の木彫。
白いだけの塑像に花がなかったからかもしれませんが、これら木彫を見ると日本の伝統を感じさせる小品であり、国内というより外国向けの意識があったのかもしれません。

それと、数をそろえるためか、習作レベルの作品が目立ちます。
同年には第4回帝展もあったわけで、時間が限られていた作家もあったのでしょう。

それでもとにかく当時の国内最大級の彫刻の展示だったわけです。

齋藤素巌はこういった取組みにたいし、新聞紙上で『まだ工房から解放されていない彫刻家たちに対して、博覧会が新しい練習の場を提供している』と述べている。ただし『断片的な塑像を陳列しているに過ぎない事は、まだまだという物足りない感じを起こさせる』と苦言も忘れない。

 この博覧会が終えた翌年、1923(大正12)年の9月1日に関東大震災が起きます。
この震災は、この博覧会に参加した多くの彫刻家にとっても、日本の美術界にとっても転機となりました。

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