1枚目はその当日、2枚目は式前でしょうか?
地面には除幕式の為の位置取りがなされています。
銅像にも布が掛けられたまま。
それに、一文字三星紋の毛利家紋の提灯が建っているのが見えますね。
撮影は山口の写真家麻生雲烟(あそううんえん)
https://shashinshi.biz/archives/231
名の上に石観音町とありますが、これは麻生雲烟が構えた店の住所のようです。
除幕式は1900(明治33)年4月15日に行われました。
傘を手にしている人がいますね。小雨でも振っていたのでしょうか?
こちらにサイトによると、その日は『山口の人々は提灯(ちょうちん)や造花で町を飾り、自転車大競争会なども開催。除幕式当日後も、芸妓(げいぎ)たちが奇兵隊の仮装などをして町に繰り出して踊り、祝福』したとか。
銅像製作は長沼守敬。
実は、その時の契約書の写しを所有しています。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/05/blog-post.html
この記事を書いたころは写真が無いって言ってましたが、こうして揃えることができました。
写真を見て気が付いたのですが、この銅像たちは柵で囲われてるのですね。
昨今、当時の台座のデザインについて語られることはあるのですが、洋式柵のデザインってどう決めているのでしょうね。
除幕式は1900(明治33)年4月15日に行われました。
傘を手にしている人がいますね。小雨でも振っていたのでしょうか?
こちらにサイトによると、その日は『山口の人々は提灯(ちょうちん)や造花で町を飾り、自転車大競争会なども開催。除幕式当日後も、芸妓(げいぎ)たちが奇兵隊の仮装などをして町に繰り出して踊り、祝福』したとか。
銅像製作は長沼守敬。
実は、その時の契約書の写しを所有しています。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/05/blog-post.html
この記事を書いたころは写真が無いって言ってましたが、こうして揃えることができました。
写真を見て気が付いたのですが、この銅像たちは柵で囲われてるのですね。
昨今、当時の台座のデザインについて語られることはあるのですが、洋式柵のデザインってどう決めているのでしょうね。
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