1937(昭和12)年に出版された『東西美術大集 : 絵画彫刻工芸」には古今東西の美術品を集め、その解説書には木村荘八、太田三郎、田辺孝次、仲田定之助、藤川勇造らが各作品について解説を行っており、当時の美術観を垣間見る事ができます。
その中に、メダル史について畑正吉が語っている文章があります。
短い文章ですが、彼や当時のメダルに関わる作家の考えを理解でき、私にとってはかなり興味深い文章です。
下にその文章を載せます。(旧仮名遣いは変えてあります。)
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工芸作品には工作の如何により大なる変化を与えるものである。
メダルの開祖伊太利のピサネロ(十四世紀)の鋳銅のメダルから、のち希臘、羅馬の貨幣と同様の方法で作られた直彫の極印(鋼鉄の鏨を以て陰刻したメダルの型)から圧印したものには、また別種の趣を呈し、今日も作られている。然るにこの期の末からじかぼりの極印即ち彫金の外に仏蘭西に於いて縮彫機械(マツシーヌ・ド・レヂュクション)を発明され、為に所用メダル数倍の塑像原型から鋼鉄へ彫刻されるようになった。
この縮彫された極印によって、さらに一変化を与えたのである。
この過渡期に際しシャプラン、シャルパンチェ、ローチなどは最も苦心し、図に見るが如き特色ある、またメダル本来の目的にかなった作品ができたのである。図の如くシャプランとローチはまだじかぼりの風を帯びているが、シャルパンチェは塑像彫刻の縮図のようであってこれは全く縮彫機械によって起った変化である。故にこの機械最初の発明者コンタマンとこれを完成したヂュヴァルとジャンヴィエの三氏も忘れることができない。
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ピサネロをメダル芸術の祖とし、シャルパンチェ(ALEXANDRE CHARPENTIER)を縮彫機を用いた近代メダルの祖としています。
芸術性だけでなく、新しい技術を以って、メダルの時代を分けているのですね。
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