2016年12月7日水曜日

安松みゆき著「ナチス・ドイツと<帝国>日本美術」を読む。

1939(昭和14)年、ベルリンにて「伯林日本古美術展覧会(AUSSTELLUNG ALTJAPANISCHER KUNST)」が行われます。
開会式には、あのヒトラーも出席します。

「ナチス・ドイツと<帝国>日本美術」は、その「伯林日本古美術展覧会」開催に至るまでの、ドイツでの日本美術受容史を縦軸に、それに寄り添うように展覧会実現に向けて奔走する東洋美術史家のオットー・キュンメルと、その縦軸に影響を与える横軸として日本とドイツ政府の各々の政策と思慮、そしてイギリスや中国を含めた世界情勢等々を描きます。

これが、面白い!
学術書なんだけど、歴史物語を読んでいるみたい。
映画にしてくれないかな!

近代彫刻史関係で言えば、退廃美術と言われ不幸な最後であったドイツの彫刻家バルラハに関する著書を書き、発禁処分となった批評家カール・ディートリヒ・カールズが、同展の批評を新聞に書いていることですか。

彼は雪舟とゴッホとの近似性を述べているのですが、そこにはゴッホという退廃美術を、「伯林日本古美術展覧会」の展示作品というナチスの政治的に批判できないものに似ていると言うことで、暗にナチスの美術政策批判をしているのだと言います。
骨太だなぁ~

さて、私が以前書いたバルラハに関する投稿です。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2012/12/blog-post_23.html
バルラハのような表現主義彫刻が、戦前においてどこまで日本に影響を与えたか、よくわかりません。
逆にバルラハがどこまで日本の彫刻から影響を受けているかもわかりません。
バルラハは浮世絵から影響を受けたことは知られていますが、彫刻はどうでしょう?
特に能面や狂言面についてどこまで知っていたか気になるところです。

「ナチス・ドイツと<帝国>日本美術」に書かれていることでは、1908年に日本の面が本で紹介され、1925年には「日本の仮面 能と狂言」という本でまとめられたそうです。
ドイツにおいては、当時から能面・狂言面の評価は高く、それが表現主義に影響を与えたと考えることはできないでしょうか??

それにしても、「伯林日本古美術展覧会」に関するナチス寄りの評論が良い味!
重文「大威徳明王像」にある卍が、ハーケンクロイツに似ているからといって、日本人のアーリア人的気質を語るとか...
飛鳥昭雄氏が喜びそうなオカルトだな!

ポケモンでも卍が使われ、差し替える問題がありましたが、この時期からそんな言説あったのね。

さて、横道にそれたので話を戻して...
この本で著者は『戦争へと至るプロセスの中で、美術が国際政治の道筋を示す機能を担わされた』と言います。また、『大戦前夜の国際関係の緊張は、むしろ不可能であったはずの美術展を実現へと導き、その質を高める役割を果たしている』と、この戦争へのプロセスが無ければ、この展覧会は実現しなかったとも言います。

この矛盾、いや矛盾ではなく、これこそがリアルなんだろうと思います。

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