前回紹介しました「前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術へ」より
「第6章 大東亜のモダニズム ——丹下健三《大東亜建設記念営造計画》をめぐって——」
では、建築家丹下健三について書かれています。
そこで、「新様式の新しさ--《大東亜建設記念営造計画》」とし、ファシズム建築とされる「大東亜建設記念営造計画」の近代性について説明されているのですが、丹下健三はその計画のモチーフを「伊勢」と「埴輪」としているのですね。
戦前あった埴輪の美の思想については、以前このブログでも書きました。
光太郎の言う埴輪の「明るく」「天真らんまんな」「日常性の健康さ」が当時の美意識と合ったということを書いたのですが、この丹下健三について書かれた文章を読んで、それだけではないことがわかりました。
つまり、光太郎も丹下健三も、埴輪の抽象性、シンプルで装飾のない、禁欲的なデザインにモダニズムを見ていたということです。
そして、そういった埴輪の美が戦後否定された背景には、モダニズムの否定、つまりポストモダニズムの思想によるものだということなんだとわかりました。
そうはいっても、モダン美術は今でも鑑賞されており、モダンもポストモダンも「好み」でしかない現代において、戦前あれほど語られた「埴輪の美」がまったく触れられない現状は、やっぱり違和感がありますね。
なんだかんだ言って「美」であっても政治性に支配される。
戦後の「正しい」美意識が、そうでないものを押し殺してきたという見本です。
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