須藤徳久設計による歩兵第三連隊戦跡記念碑です。
紀元2591年とありますので、1931(昭和6)年に配布されたものだとわかります。
1931年は満州事変が起こった年ですね。
この年、第三連隊がどういう動きをし、どうして記念碑の作製に至ったのか、よく分かりませんでした。
そして、この記念碑が忠霊塔を模しているわけもです。
この忠霊塔は実際に建てられたのでしょうか?
また、なにより不明なのは、この忠霊塔の設計者である「須藤徳久」という人物です。
この人は、いったいどういった人物なのでしょう?ネットでは、いくら検索しても見つける事ができませんでした。
市井の建築士なのでしょぅか?
しかし、そういう人物が第三連隊戦跡の設計をするのも疑問です。
このような忠霊塔は、全国津々浦々建てられ、現存するものもあります。
だからこそなのでしょうか。未だに全貌が把握できていないように思えます。
丹下健三のような有名どころではない、当時の無名な建築士の仕事も、当時の状況を知る上で大切なデータではないかと思います。
同一人物かはわかりませんが、東京美術学校彫刻科の昭和5年度卒業生に「須藤徳久」がいます。昭和8年の第13回帝展に《黙》という男性裸体像で入選していますが、これ以降の経歴が不明です。
返信削除御指摘頂きありがとうございます。
返信削除「須藤徳久」は彫刻科出身なんですね。
日名子の「八紘之基柱」のような彫刻家の記念碑は、もっと他にもあると思います。
戦後の野外彫刻と比べてみると面白そうです。