2018年8月16日木曜日

公共のアート

福島でヤノベケンジさんの作品が設置され問題になっているようですね。https://www.bbc.com/japanese/45192561
公共の場所に置かれる像は、美術館に守られること無く広く民意に晒されます。
その時、美術家はどんな態度で設置にあたるべきでしょうか?
こういった民意に真摯に向き合うことこそが、現代のアートのあり方だという人もいるでしょう。
けどね、私はそんな真摯な態度を嫌悪する人だっていると思います。
真摯に話す息が顔にかかることを気持ち悪いと思う人だっていると思うのです。
かといって冗談でしたと言われても癪に障る。
そういう作家の意図にどこまでもどこまでも絶対的に添えない人はあるはずです。
美術家が公共の場に作品を建てるとは、彼の正義を謳っているわけで、それは他の正義からしたら悪です。
『皆にわかってもらいたい。」は独善的な暴力です。
民主主義での解決は暫定的に正しさを確定したに過ぎません。
結局は政治的な力の「正しさ」でしかないでしょう。
そういったアートが公共の場に建っても美しいと言えるのでしょうか?

私はね、今の時代、ある正義や美意識に基づいた像を公共の場に設置するのは無理なのではないかと考えています。
コンビニのエロ本やネットのエロ動画がゾーニングされなければならないように、公共空間に於いて見たいもののみが見れるといった技術的なゾーニングがなされない限り、無理なのではと思います。

こういった無味乾燥な社会を望むか、善意によって誰かが犠牲になっても(そしてそれがが見えていても)「あたたかい社会」を望むか、その岐路にあるのではと考えています。

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