2017年8月4日金曜日
畑正吉作 日伊仏英米 文明擁護之大戦 レリーフ
「日伊仏英米 文明擁護之大戦」メダルの原型サイズのレリーフです。
大正3年、第一次世界大戦参戦による日伊仏英米の「同盟及連合国」を記念して制作されました。この戦争を日本では「文明擁護之大戦」と呼んでいたんですね。
また、実際のこのメダルの表には「武甍槌命」が描かれています。
原型は畑正吉。彼の直筆と思われる文章が、その裏側に墨で書かれています。
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図案並原型 畑正吉
製造 造幣局
勝利神像トシテ我国ハ
武甍槌命(タケミカヅチ) 考証高橋健次
賞勲局総裁 伯爵児玉秀雄
世界大戦従軍微章 綬各国一定ノ七色
表 決定図ハ勝利女神ノ正面立像ニテアルモノナレド
我国二於イテハ以ノ如キ神像ナシ 依テ独特ノ図二○ル
裏 同盟ノ五大国梯花五牌二各国旗ノ色彩二テ表ハシ中央地球
周囲ノ二十二ヶノ玉ハ連合国二十二ヶ国数を表ス
書 高田忠周号竹山
大正十年春
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ここには畑正吉の他に3名の名前が出てきます。
神像の考証に高橋健次(高橋健自に誤りか?)
賞勲局総裁の児玉秀雄
書家、高田忠周
高橋健自は、日本考古学会の基礎を築いた人物で、『鏡の研究から邪馬台国大和説を主張。また埴輪の研究から転じて服飾史の分野も研究』するといった、当時の古代史スペシャリスト。
児玉秀雄は政治家で、賞勲局総裁以前は内閣書記官長、1929年(昭和4年)からは朝鮮総督府政務総監を勤めます。
高田忠周は、『勝海舟のすすめにより内閣印刷局(朝陽閣)に奉職し、明治、大正、昭和にわたり紙幣金銀貨公債等の文字を担当する。内閣印刷局漢字主任となり、内閣印刷局の蔵書を整理し、説文学の研究に励んだ。説文六書の学を研究し、三代より秦・漢に至る古文字の読法及び書写法を独修、後に説文学の大家となった』と凄い人。
ここで私が気になるのは、高橋健自ですね。
古事記等で語られる神の姿を、古墳時代を考察した考古学的な知識でもって描いているわけです。
以前「神像について覚書」で書いたことが確かにそうだとわかります。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html
また、面白く思うのは、メダルに描く女神の代りに武甍槌命を描くことに了解を得ようとしている点です。
畑正吉は、神像ありきでその使用を考えていたので無く、女神を描く海外のメダルのあり方を重要視した上で、それを選択したのですね。
こういう作品が前例となって、以降の神を描いたメダルラッシュとなっていったのでしょう。
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