2012年11月26日月曜日

絵葉書に就いて

今日の主役は、絵葉書そのものです。

日本の絵葉書は、1900年(明治30)から使用が認められます。
1905年、日露戦争の勝利の記念に販売された絵葉書が一大ヒット商品となり、絵葉書ブームが起こります。
街道に絵葉書専門店が建ち、郵便だけでなく、記念品として、お土産として、宣伝用のメディアとして、またはコレクションとして絵葉書が用いられるようになります。

1907年(明治40年) 第1回文部省美術展覧会が開催され、ここで作品を印刷した絵葉書が販売されます。
当時の官展は国の一大行事であり、国民の大きな注目を集めるものでした。一箇月の開催期間に、のべおよそ4万人の入場者があり、販売された絵葉書もこれまた大ヒット商品となります。
ただし、当時は著作権などの概念の無い時代ですから、作者の許可なく勝手に販売されていたようです。
これは貧乏彫刻家にとって、死活問題であり、後に彫刻家同士が組合をつくり販売を始めようとするのですが、ここでまた問題が起こります。この話は次回。

写真の絵葉書は1924年(大正13)第5回帝展の彫刻群。
袋には「▽研究参考として現代無二である! サロン彫刻 名作集」とあり、「≪性≫赤堀信平」「≪快感≫開発芳光」「≪女≫北村」正信」 「≪影≫中谷宕運」「≪踊≫日名子実三「≪陽春≫金子久次郎」」「≪粧ひ≫小倉武生」×2枚 と、合計で8枚のセットとなっています。
すべて裸婦像。当時、こういった彫刻はポルノとしての意味合いもあり、だからこそ 「研究参考として現代無二である!」なんて強調してるんでしょうね。



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