2012年11月8日木曜日

神像の絵葉書

前回紹介しました明治神宮大会のメダルの原型師、畑正吉と日名子実三との違いは何か。
一つは年齢、畑正吉は明治15年生れ、日名子実三は明治26年生れでおよそ10年の差があります。
そして、その作風を見れば、畑正吉が日本の古典的な彫刻法を受け継いでいるのに比べ、日名子は西洋風の彫塑法。
何より違うのが、畑正吉がモンタージュ的なイメージを描いているのに対し、日名子実三が今で言うキャラクターを描いている点にあると言えます。
では、どんなキャラクターを描いているかと言えば、それは日本古来の「神」の御影。

明治政府によって「神道」は国教となります。廃仏毀釈が起こり、佛像などが破壊されます。
日本の神々は元来、キリスト教などのように固定されたイメージの姿を持ちません。薬師寺の「仲津姫命」などありますが、佛像に比べれば遥かに少ない。しかし、明治以降、民衆の間で神像への需要が高まり、制作されるようになります。
彫刻家たちは、その西洋からの技法を用いて、より人体に近い「神像」を制作するようになります。
有名のは、竹内久一 (1857-1916)が明治23年に制作した3メートル弱もある木彫の「神武天皇像」です。
他にも多くの近代「神像」があるはずなのですが、美術史で語られることは皆無です。
現代の宗教からかけ離れた美術観もその理由の一つでしょう。また、戦争によって「神道」アレルギーもあるでしょうし、作品そのものが戦争によって失ったというのも理由でしょう。

 このブログでは、そんな近代「神像」も少しづつですが紹介していきますが、とにかく情報が少ないのが悩みです。

 「天の浮橋御像」大日本神像奉彫會謹作
 この「大日本神像奉彫會」が何なのかまったく謎。

出雲大社什物稻田姫の神像



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