2024年1月6日土曜日

吉田久継 作 「日本武尊」メダル

 


吉田久継は、1888(明治21)年東京市本郷区に生まれ。
若く10代で高橋楽水に蠟型技術、馬場正寿に彫金、白井雨山彫塑研究所でに彫塑を学びます。
東京美術学校彫刻選科卒、その後に太平洋画会研究所、さらに本郷洋画研究所で岡田三郎助にデッサンを師事。
第7回帝展から審査員となり、東台彫塑会、赤洵社を組織、第一美術協会結成に参加、東土会結成に洋風版画会結成、三部会結成と忙しい作家だったようです。
ハニベ会」にも参加してますしね。
1929(昭和4)年日本には、日本美術学校彫刻部教授となります。
戦後は官展を中心に発表と……
南海難波駅北口に建つ「風朗」は、吉田久継の1953(昭和28)年の作品ですね。

さて、このメダルですが、裏面には日本武尊についての説明だけがあり、制作年代や何のためのメダルなのかの記述がありません。
こういう場合は大体戦後のものって印象なのですが、どうなんでしょう?
モチーフが日本武尊であるから戦意高揚目的で作られたメダルの可能性もありますが。

このメダルに刻まれた日本武尊ですが、日名子や畑正吉の作品に比べ、絵画的ですね。
全体の立体感より細部を細かく描いています。
画家岡田三郎助に師事した作家故でしょうか。


この吉田久継という作家、若きエリート作家だったんですよ。
30才で帝展に入選、その3年後には無審査になってますから。
けど、現在この作家の作品を思い浮かべることのできる人ってどれくらいいるのでしょう?
まとまった展覧会も行われていないのではないでしょうか?
何故でしょう?
地元が東京っていうのも、故郷なくて忘れられたのか。
それとも裸婦像の飽和の中で埋もれられたのか。
けど、吉田久継ほどに裸婦の群像に向き合った作家って少ないと思うのですけどね。

2024年1月3日水曜日

安永良徳作 木彫花丈煙具

謹賀新年
皆さん地震は大丈夫でしたか?
我が家もかなり揺れましたが、誰も怪我無く、皆無事でした。
コレクションは木彫が若干破損、倒れたのブロンズ像には傷は無いよう、梱包されている作品の確認はまだできていません。
なかなかしんどい一年のはじめとなりました。

今年も少しづつコレクションの紹介をしていきます。
できることを一歩ずつですね。



さて、今年の一回目は構造社の彫刻家、安永良徳による煙管です。
昭和26年の作になります。
煙管は3本あり、ひまわり、菊、そして女性の顔が描かれています。
それとロシア語ですね。これが刻まれています。
(すいません、読めませんでした!)

安永良徳は昭和22年にシベリア抑留より帰国します。
そんな彼が、その数年後に木を削って作った煙管。
彫塑家でありながら、ロシア語を用いて削り上げた木彫。
もしかしたら、彼はこうした作品をシベリア抑留中にロシア人相手に作っていたのかもしれません。
確かに、こうした実用品を作ることのできる技術者は、日本人を管理するロシア人に重宝されていたと聞いたことがあります。
そういう人は、そうではない人よりも、生き残る確率が高かったとも。

そう考えると、なかなか重い作品に感じます。

2023年12月31日日曜日

黒田頼綱 作 「海」と「ゴジラ-1.0」




画家黒田頼綱による「海」です。
板に油彩。
裏側には「文展無審査 光風会会員 〇〇美術〇〇 陸軍美術協会会員 海洋絵画協会会員」と書かれています。
このことから、戦前の作品と思われます。

黒田頼綱は、1940(昭和15)年に近衛文麿内閣によって、対中政策のために設置された興亜院の委託で北京に、1943(昭和18)年には海軍報道班員としてフィリピン・ジャワなどに従軍しています。
板に描かれていることからも、このころに現地で描かれた作品なのではないでしょうか?


手元に1941(昭和16)年に開催された「第五回 大日本海洋美術展」のカタログがあるのですが、こちらにも海洋絵画協会会員であった黒田頼綱の作品が掲載されています。
この作品「ボートデッキ」も、船内を取材して描かれたのでしょうね。

この年の瀬に、この作品を紹介するわけ……
それは、ただ単純時に当時「海」を描いた「ゴジラ-1.0」について語りたいからでしかありません!
観に行きましたよ!

このゴジラが現れる海、実写部分とCGの組み合わせなんですよね。
真昼間のゴジラを至近距離で見られるだけでもすごいのに、それが海中ですよ。
黒田頼綱も見ただろう、そして描いた当時の日本の海を、こうして現代になって新たなメディアで描かれているわけですね。

ゴジラと言えば、私にとって東京というより海なんですよね。
60年代以降のゴジラがベースとなって人格形成されてからなのかもしれません。
南海に現れるゴジラ、海から来て海に戻るゴジラ、それがゴジラのイメージなんですよね。
そういう意味でも、「ゴジラ-1.0」は素晴らしいゴジラ映画でした。

演技が臭いとか言われてますが、こうして戦時の物を収集している私から言わせれば、この時代の「熱さ」を感じられる演出だったと思うんですよ。
それは浮かれていたとも言えるのかもしれませんが……

「ゴジラ-1.0」では、戦争に生き残った人々が、もう一度彼ら自身の「終戦」に向き合います。それは、戦後処理のやり直したい、あいまいであった日本の私たちに区切りを付けたいという、新しい戦時下となった令和の欲望なのではないでしょうか?
私自身、ここにこうして戦前戦中のメダルの記事を、誰から頼まれているわけでもなく書いているのですけど、これってどこかで「戦後処理のやり直し」って気持ちがあると思うのですよね。そういう意味で「ゴジラ-1.0」にリンクしてしまう部分があったんじゃないかと思います。

この映画は、かつてビートルズが、ブルースリーが、スターウォーズがそうであったように、文化としてのエポックメイキングになり得る作品だと、私は劇場を出るときに思いました。皆さんはいかがでしたでしょうか?

2023年11月23日木曜日

日名子実三 作 カメラを持つ女性像

 今日は久しぶりに日名子実三のレリーフです。

このレリーフには、賞の名が入ったプレートが取り付けてあったような跡がありますが、プレート自体無く、どんな賞のための楯だったかはわかりません。

描かれているのは、カメラを持つ裸婦ですね。
彼がよくモチーフとして扱う日照も描かれています。
裸婦が手に持つのは、蛇腹カメラですね。
私の知識では、このカメラの型式はわかりません。なんでしょうか?

この裸婦ですが、日名子には珍しい、面長の女性です。
彼のお気に入りのモガな女性モデルとは異なる気がします。
1932(昭和7)年作の「第3回国際広告写真展覧会」では、この女性モデルで制作されています。
手に持つカメラは、同型に思えます。
どうでしょうか?
髪型が違うだけ?

1931(昭和6)年大阪朝日新聞主催「全関西写真連盟 撮影競技大会」メダルは、今回のレリーフのモデルと似ています。

こちらのモデルにお願いしたのでしょうか?
でも、この人の体は、本職のバレリーナなのか、引き締まってるし……
さて??

2023年11月19日日曜日

R.COCHET 作 池田大作 メダル


R.COCHETとは、フランスのメダル作家、彫刻家のロベール・コシェ(Robert Cochet) (1903 - 1988) と思われます。
コシェは、1954 年から 1958 年にかけてフランスのモネ・ド・パリ造幣局とボーモン・ル・ロジェ造幣局で鋳造されたコイン等々、多くのメダル、コインののデザインをしています。
コシェは、1954 年にマドリードで開催された万国博覧会で賞状とメダルを授与されました。彼はサロン・デ・アルティスト・フランセの会員に選ばれ、彼のメダルは大英博物館、クライスラー博物館、ハーバード美術館のコレクションで見ることができます。
近現代メダル会の巨匠なんですね。

そんな彼が手掛けた、メダルの一つがこの 「池田大作」をモデルとした創価学会のメダルです。
ベール・コシェは、フランスだけでなく、ラオス、ベトナム、サルジャ、イエメン、コモロ、中央アフリカ諸国、西アフリカ、ボリビア、ギリシャなどで彼の署名入りコインが制作されています。その中で彼が手掛けた日本人像は、どのくらいあるのでしょう?

裏には「TAISEKIJI」と富士をバックにした大石寺の姿が彫られています。
つまり、このメダルは、日蓮正宗から創価学会が離れた1991(平成3)年以前のものなのでしょう。
コシェの亡くなった年が1988年であることからも、彼の晩年の作であろうと想像します。

そんな池田大作氏が15日に亡くなりました。
まさに巨星墜つ。
現在、昭和の新興宗教の信徒数が右肩下がりとなっています。
そんな中、創価学会は池田大作氏を日蓮上人と並ぶカリスマとして神格化していくのか。
または、ジャニーズや宝塚のように昭和のカリスマが解体されていく昨今、次の信仰を模索していくのか……
興味あるところです。

足利公園内 「明治二十八年・三十八年戦役記念碑」水彩画


現在も栃木県足利市の足利公園に建っています「明治二十八年・三十八年戦役記念碑」を水彩で描いたものです。
場所はこちら
サインは「T.HOTTA」そして「1936」と描かれています。
1936(昭和11)年に描かれた作品だと思われます。

現在のこの碑に水彩画で描かれていたような周りの格子はありません。
ただ、台座は当時のままのようです。
また、左下に球状の彫刻がありますが、こちらも現在は無いようです。

コレ何でしょう?
船のブイみたいですから、戦艦の慰霊碑しょうか?

頂上には、球状の上に立つ鳥が。
ヤタガラスでしょう。
そして、「明治二十八年・三十八年戦役記念碑」とあります。
明治28年は日清戦争の終結、下関条約を結んだ年です。
明治38年は日露講和条約が結ばれた年ですね。
この年を記念し、建てられた碑だとわかります。

この記念碑がいつ建てられた物かはわかりませんが、こうして水彩道具を外に持ちだし、写生を行った人物がいたのですね。
西洋で発展したチューブ入りの絵具は、印象派など新しい様式を生み出します。
日本においても、明治期に水彩による戸外制作がブームとなります。
この記念碑は昭和に入ってから描かれたものですが、しっかりと描かれた姿は、明治の戦争を記念するだけでなく、日本水彩画の歴史をも記念した作品になっていると思います。

2023年11月3日金曜日

MADE IN SSAR(ソ連) ホフノマ塗の火の鳥

戦前の日本では、絵画や彫刻など西洋アカデミーによる上からのエリート主義的美術の受容と、児童画や農民美術等の民衆による、民衆のための西洋美術受容の異なる美術受容・教育がなされました。

大正期、その下からの西洋美術受容を進めたのが山本鼎です。
彼は、ロシアから自由画教育や農民美術を学びます。
日本の下からの西洋美術受容を支えたのが、ロシアであり社会主義国家ソ連の美術だったんですよね。

現在、ウクライナに軍事侵攻をするロシア。
私は、そんな国の姿に蓋をせず、観ていきたいと考えています。
そのため、そういった日本に影響を与えたロシアでありソ連の作品を集め、紹介していきたいと思います。まぁ、できる範囲でね。

で、まず今回紹介するのは、ロシアの民芸雑貨、ホフロマ塗りの器です。

現在も作られている木製漆器ですね。
スズと漆を重て塗りし、窯で乾燥させさらに塗ってを繰り返して金色に発色させます。
その歴史はこちらに詳しいです。
https://jp.rbth.com/arts/86854-rosia-no-mingeihin-hofuroma
形状は火の鳥。

この器は、菓子入れですね。
朱で縁とられ、底は金色で塗られています。
裏には「MADE IN USSR」と彫られています。


また、包み紙が残っており『満州資源開発紹介』『大興股份有限公司』『満洲土産品陳列所』『新京駅前』の文字が読めます。
満州の大興股份有限公司という会社によって販売されていた、お土産品だったようです。
満州でソ連製品を買って、日本に持ち帰った方がいたのでしょう。
戦争末期の混乱時には、そんなこと難しかったでしょうから、昭和の一桁あたりかもしれません。
もしかしたら、この器を参考に日本で新しい作品が生まれたかもしれませんね。