「FUMIO YOSHIMURA」は戦後アメリカで活躍した日本人の彫刻家です。
彼が1973年にNancy Hoffman Galleryで個展を開いた時のDMがこちら。
手紙自体は、作家ではない人による記のようなのでぼかしています。(なんだかお怒りの手紙...)
さて、「FUMIO YOSHIMURA」ですが、
Wikiによれば
《東京芸術大学で絵を学び、1949年に卒業。
1960年代初頭にマンハッタンへ(1963年だと思われる。後述するケイト・ミレットの日本からの帰国に合わせて)フェミニスト作家のケイト・ミレットと結婚( 1985年に離婚)
タイプライター、ミシン、自転車、またはホットドッグのような日常的なものの彫刻を木彫で精密に製作するスタイルで、超現実主義と関連しているが、彼は作品を物体の「ghost」と表現している。
1981年よりダートマス大学で准教授として教鞭を執る。
2002年7月23日 死去》
日常品を細密木彫によって表現するスタイルは、現代でも見られるものですが、当時はポップアートや、シュールレアリスム、スーパーリアリズム等で語られたのでしょう。
彼が木彫を「ghost」と呼ぶのは、能や能面との関連を思わせますね。
それにしても、失礼ながら、こういったアメリカで活躍された日本人彫刻家がいたことをまったく知りませんでした。
それと、「FUMIO YOSHIMURA」についてネットで調べていますと、「吉村二三夫」と「吉村二三生」と両方表示されますが、ごちらが正しいのでしょう。
「吉村二三夫」では、中川直人オーラル・ヒストリーでケイト・ミレットとの出会いの仲介者として紹介されています。
「吉村二三生」では、1953年に成立した青年美術家連合に「フォール」から流れで参加したとあります。
どうも「吉村二三生」が正しそうです。
というのも、「シュルレアリスム宣言」を訳した評論家の巖谷國士にとって吉村二三生は母方の叔父にあたるそうで、彼の「かえで」という文章で叔父への思い出を語っています。
「かえで」
海外に渡って活躍した日本人彫刻家の先駆者と言えば、川村吾蔵を思い出されますが、どちらも日本での展覧会を行うことなく、母国で忘れられた作家というのが共通しています。(吉村二三生の名前さえあやふや...)
こういう作家は、まだまだいるのでしょう。
日本美術史の教科書で語られる作家だけが、日本の作家ではないですよね。
また、日常品の精密木彫といえば、1970年代の鈴木実の作品を思い出されますが、彼とは交流あったのかな?
それと、このバイクの種類がわからなかったのだけど、なんでしょう?
YAMAHAかな?
詳しい写真はこちら
2018年3月30日金曜日
2018年3月17日土曜日
長谷川義起 作「東京帝大総長賞」トロフィー
長谷川義起と言えば、スポーツをモチーフとした彫刻、特にベルリンオリンピックで等外佳作となった相撲をモチーフとした作品が思い浮かびます。
高岡古城公園で見ることの出来る「国技」等が代表作ですね。
その長谷川義起による、ゴルフをプレーする姿を描いたトロフィーがこちらです。
このトロフィーは、昭和10年、ゴルフのコンペで用いられたもののようです。
病理学の教授で東京帝国大学第12代総長となった長與又郎の寄贈した物だとわかります。
彼は東京帝国大学野球部長も務め、スポーツへの造詣も深かったようですね。
現在、東京大学には長與又郎の銅像がありますが、作者が不明です。
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1998Portrait/03/03200.html#077
そのトロフィーの裏側のプレートには歴代の優勝者でしょうか、多くの名前が載っています。
・本位田祥男(経済学)
・岸田日出刀(建築学)
・大河戸宗治(土木)
・田中於菟弥(インド文学)
・矢追秀武(医学)etc...
そうそうたる顔ぶれですが、惜しむには、この像が長谷川義起の相撲の像に比べ、どこか硬い印象を与えることです。
パターだからしょうがないのかもしれませんが、彼のダイナミズムが見えなくて残念。
まぁ、でも野々村一男の裸でゴルフに比べたら...
高岡古城公園で見ることの出来る「国技」等が代表作ですね。
その長谷川義起による、ゴルフをプレーする姿を描いたトロフィーがこちらです。
このトロフィーは、昭和10年、ゴルフのコンペで用いられたもののようです。
病理学の教授で東京帝国大学第12代総長となった長與又郎の寄贈した物だとわかります。
彼は東京帝国大学野球部長も務め、スポーツへの造詣も深かったようですね。
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1998Portrait/03/03200.html#077
そのトロフィーの裏側のプレートには歴代の優勝者でしょうか、多くの名前が載っています。
・本位田祥男(経済学)
・岸田日出刀(建築学)
・大河戸宗治(土木)
・田中於菟弥(インド文学)
・矢追秀武(医学)etc...
そうそうたる顔ぶれですが、惜しむには、この像が長谷川義起の相撲の像に比べ、どこか硬い印象を与えることです。
パターだからしょうがないのかもしれませんが、彼のダイナミズムが見えなくて残念。
まぁ、でも野々村一男の裸でゴルフに比べたら...
2018年3月14日水曜日
Intermission 靉嘔 ~70年代の本
特にコレクションしているわけではありませんが、手元にある本を紹介します。
アーティスト「靉嘔」が1970年代初頭に出版(?)した本だと思われます。
現在、埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催中で、「靉嘔」の作品も展示されているようですね。
さて、この本ですが、版元が無いことから自費出版だと思われます。
内容としては、当時の靉嘔の雑文から、手紙、雑誌に記載した文が載せれられています。
久保貞次郎との手紙のやり取りや、イサム・ノグチとの日々、福井の人との関係、オルデンバーグやウォーホルとのイベント等、大変興味深い。
ここに書かれていることの多くは、彼のアーカイブ「靉嘔オーラル・ヒストリー 2011年11月6日」と同じです。(当たり前ですが)
ただ、作品の画像は殆ど載せていません。この当時は、作風を限定されることを嫌がっていたのかもしれませんね。
私としては、彼の作品をどう見たら良いのか分かりかねていたのですが、この本の一文でなんとなくわかるような気がしました。
「アメリカのポロックなどのアクションペインターは自然主義なんですよ。しかし土壌が違うから個人の合理性が根本にあるわけですね。・・・合理的な土壌がなければ、ぼくはいやだという気がする。・・・日本の場合は違いますね。拒否するものというのではなしに.....。」
彼は、(当時の)日本の湿った自然主義を嫌って、アメリカのポップを求めたのでしょう。
とは言え、私から見れば靉嘔のポップも大概に湿っているように感じますが。
まさに「拒否するものというのではなしに.....」なんでしょうね。
この湿り気は、例えば斎藤真一のポップにもあり、横尾忠則のポップにも感じます。
それに村上隆もそうです。
逆に感じないのは、草間彌生に日比野克彦、奈良美智...
あぁ、「靉嘔」は日本的な作家で、その文脈上にあるのだと、そう思いました。
アーティスト「靉嘔」が1970年代初頭に出版(?)した本だと思われます。
現在、埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催中で、「靉嘔」の作品も展示されているようですね。
さて、この本ですが、版元が無いことから自費出版だと思われます。
内容としては、当時の靉嘔の雑文から、手紙、雑誌に記載した文が載せれられています。
久保貞次郎との手紙のやり取りや、イサム・ノグチとの日々、福井の人との関係、オルデンバーグやウォーホルとのイベント等、大変興味深い。
ここに書かれていることの多くは、彼のアーカイブ「靉嘔オーラル・ヒストリー 2011年11月6日」と同じです。(当たり前ですが)
ただ、作品の画像は殆ど載せていません。この当時は、作風を限定されることを嫌がっていたのかもしれませんね。
私としては、彼の作品をどう見たら良いのか分かりかねていたのですが、この本の一文でなんとなくわかるような気がしました。
「アメリカのポロックなどのアクションペインターは自然主義なんですよ。しかし土壌が違うから個人の合理性が根本にあるわけですね。・・・合理的な土壌がなければ、ぼくはいやだという気がする。・・・日本の場合は違いますね。拒否するものというのではなしに.....。」
彼は、(当時の)日本の湿った自然主義を嫌って、アメリカのポップを求めたのでしょう。
とは言え、私から見れば靉嘔のポップも大概に湿っているように感じますが。
まさに「拒否するものというのではなしに.....」なんでしょうね。
この湿り気は、例えば斎藤真一のポップにもあり、横尾忠則のポップにも感じます。
それに村上隆もそうです。
逆に感じないのは、草間彌生に日比野克彦、奈良美智...
あぁ、「靉嘔」は日本的な作家で、その文脈上にあるのだと、そう思いました。
2018年3月7日水曜日
ロシアの絵葉書
「デッチスキー公園ノ銅像(浦潮)」絵葉書です。
「浦潮」とはウラジオストク。
この絵葉書はウラジオストクのデッチスキー公園に建つ銅像前で撮った写真から作られたものだと思われます。
ウラジオストクと日本との関係は古く、日露戦争後には日本人街が生まれます。
この絵葉書は、訪れる日本人に向けて売られたものでしょう。
あの与謝野晶子も、シベリア鉄道に乗ってウラジオストクまで来ています。
絵葉書にある銅像ですが、ネット上を色々と探しましたが、見つからず...
しかし、公園内に建つ同じような台座を見つけました。
ただ、上にある像の姿が異なります。
この像は、「セルゲイ・ラゾの記念碑」だそうです。
セルゲイ・ラゾはロシア革命の戦士だそうで、そうなると、この絵葉書の時代に現状の像と同じ人物の像が建っていたとは考えられません。
当時の像を破棄され、今の姿に変えられたのでしょうか。
台座に比べ、像が新しい(キッチュ)である理由も説明できます。
となれば、かつてこれは帝政ロシア、ロマノフ王朝の誰かだったのかもしれません。
だからこそ、それを写真に撮り、記念の絵葉書としたのでしょう。
済軒学人著「浦潮斯徳事情」によれば、ウラジオストクには、美術奨励会なるものもあったようで、この地で仕事をした日本の芸術家たちもいたことでしょう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932607
そういったこの地の成果も全て、あのシベリア出兵(の失敗)の結果、全て失ってしまったのでしょうね。
もう一枚は、ロマノフ朝第13代ロシア皇帝であるアレクサンドル3世の銅像の絵葉書です。
この銅像は現在も存在しています。https://fr.dreamstime.com/photo-stock-statue-%C3%A9questre-%C3%A0-l-empereur-alexandre-iii-st-petersburg-image58721034
ただ、絵葉書にある台座からは外され、別の場所に置かれているようです。
どの国のどんな銅像に於いても、始めは恒久的な顕彰を目的としながらも、なかなかそうはいかないものですね。
2018年2月28日水曜日
日名子実三原型 満州帝国皇帝訪日記念章
1935(昭和10)年は、満州の年号で康徳2年。
その4月6日、愛新覚羅溥儀は、天皇の招待により日本の地に降り立ちます。
その訪日は、日本をあげての祝日だったと言います。
この「満州帝国皇帝訪日記念章」は、その訪日を記念し、関係者に渡されたものだそうです。
原型は日名子実三。
戦を示す鏃の形に美しい花の姿と、相反する組み合わせですね。
この花ですが、菊でしょうか?
もし菊であれば、鏃と合わせてどちらも当時の日本、特に皇室のイメージです。
しかし、満州皇帝の訪日の記念に日本のみのイメージで表すというのは、どうも不自然な気がします。
であれば、満州の花、迎春花(オウバイ)なのでしょうか?
葉は似てますが、花の形や枚数が違います。
正解はなんでしょう?
下の動画は、戦前の流行歌「満州娘」です。歌詞に迎春花が出てきます。
また、記念章の中央には、「一徳一心」とあります。
これは『目的や利益が同じ者同士が心を一つにして事にあたること。または、君主と臣下が協力して物事を行うこと。』を指す言葉だそうです。
「日満一徳一心」は当時の満州との関係を表す言葉として、よく用いられたもののようです。
どちらが君主で、どちらが臣下だったのでしょうね?
その4月6日、愛新覚羅溥儀は、天皇の招待により日本の地に降り立ちます。
その訪日は、日本をあげての祝日だったと言います。
この「満州帝国皇帝訪日記念章」は、その訪日を記念し、関係者に渡されたものだそうです。
原型は日名子実三。
戦を示す鏃の形に美しい花の姿と、相反する組み合わせですね。
この花ですが、菊でしょうか?
もし菊であれば、鏃と合わせてどちらも当時の日本、特に皇室のイメージです。
しかし、満州皇帝の訪日の記念に日本のみのイメージで表すというのは、どうも不自然な気がします。
であれば、満州の花、迎春花(オウバイ)なのでしょうか?
葉は似てますが、花の形や枚数が違います。
正解はなんでしょう?
下の動画は、戦前の流行歌「満州娘」です。歌詞に迎春花が出てきます。
また、記念章の中央には、「一徳一心」とあります。
これは『目的や利益が同じ者同士が心を一つにして事にあたること。または、君主と臣下が協力して物事を行うこと。』を指す言葉だそうです。
「日満一徳一心」は当時の満州との関係を表す言葉として、よく用いられたもののようです。
どちらが君主で、どちらが臣下だったのでしょうね?
2018年2月23日金曜日
Intermission 鈴木大拙と式場隆三郎
以前から戦時の仏教思想に興味があって、いつかちゃんと勉強したいと思っているのだけど、どこからはじめたら良いか迷っています。
特に鈴木大拙については、ちゃんと学ばなくちゃと思いつつ....その周辺である山田奨治著「東京ブギウギと鈴木大拙」を読む。
この本は、どちらかと言えば、大拙の息子のアランを軸に語った本です。
ただ、大拙の姿を神格化せずに書いていて、ここから大拙の姿を学び始めれた事は、良かったと思います。
前から興味があって、このブログでも何度か取り上げた式場隆三郎は、アラン挟んで鈴木大拙との親戚になります。アランの三番目の妻が式場の娘なのですね。
そして、柳宗悦を挟んで、師弟でもあります。
こちらがその相関図
式場隆三郎自身が鈴木大拙について書いた文章もいくつかあるようです。
私は、鈴木大拙や式場隆三郎、柳宗悦にアランも含め、彼らが自身の戦争にどういった思いを抱いていたか、とても知りたいと思っています。
彼らがどう考え、どう影響しあったのか。
さらに、民芸や児童画、山下清まで、それらがどのような影響下にあったのか。
そして、現在の私たちにどのように影響を与えているのか?
この「東京ブギウギと鈴木大拙」では、欧米人とのハーフであり、実の子でもなかったアランが戦争にたいしどう感じていたのか、それまでは書かれていません。
しかし、この本のような周辺の研究が当時の歴史全体に光を当てるような気がします。
ちなみに私の浅はかな考えですが、不肖の息子アランを育てたのは、やっぱり僧侶でもない(体験を共にしない)鈴木大拙の禅思想だったような気がします。
そして、戦争との関係は、著者が言うように、禅よりも真宗との関係で見直したほうが良いのではと思いました。
特に鈴木大拙については、ちゃんと学ばなくちゃと思いつつ....その周辺である山田奨治著「東京ブギウギと鈴木大拙」を読む。
この本は、どちらかと言えば、大拙の息子のアランを軸に語った本です。
ただ、大拙の姿を神格化せずに書いていて、ここから大拙の姿を学び始めれた事は、良かったと思います。
前から興味があって、このブログでも何度か取り上げた式場隆三郎は、アラン挟んで鈴木大拙との親戚になります。アランの三番目の妻が式場の娘なのですね。
そして、柳宗悦を挟んで、師弟でもあります。
こちらがその相関図
式場隆三郎自身が鈴木大拙について書いた文章もいくつかあるようです。
私は、鈴木大拙や式場隆三郎、柳宗悦にアランも含め、彼らが自身の戦争にどういった思いを抱いていたか、とても知りたいと思っています。
彼らがどう考え、どう影響しあったのか。
さらに、民芸や児童画、山下清まで、それらがどのような影響下にあったのか。
そして、現在の私たちにどのように影響を与えているのか?
この「東京ブギウギと鈴木大拙」では、欧米人とのハーフであり、実の子でもなかったアランが戦争にたいしどう感じていたのか、それまでは書かれていません。
しかし、この本のような周辺の研究が当時の歴史全体に光を当てるような気がします。
ちなみに私の浅はかな考えですが、不肖の息子アランを育てたのは、やっぱり僧侶でもない(体験を共にしない)鈴木大拙の禅思想だったような気がします。
そして、戦争との関係は、著者が言うように、禅よりも真宗との関係で見直したほうが良いのではと思いました。
2018年2月14日水曜日
建畠大夢による日独伊親善図画記念品
以前紹介しました、昭和13年に行われた森永製菓株式会社主催「日独伊親善図画」の記念品ですが、この原型を制作した彫刻家の名前がわかりました。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2017/02/blog-post.html
その作家は、建畠大夢。
彼が森永製菓に依頼され、制作したのがこの可愛らしい仏画のようです。
この記念品と一緒に渡された建畠大夢のメッセージがあります。
『此度森永製菓株式会社が日独伊親善図画を企画するに當りその記念碑原型制作を依頼され私は喜んで之に応じたのであります。
まことに子供の世界は争も、憎しみもない平和な世界であって、私達の最も憧憬している親善の極致でありましょう。
万国共通の言語-図画を通じて表現される新しい力に満ちた子供の世界をモチーフとして、その姿をとりあげ、私は原型制作に當って見ました。
愉しい子供の世界をいささかでも再現でき、各位の御期待の万分の一にも副う事が出来れば望外の幸せです。 建畠大夢』
今の私たちからすれば、日独伊の国家に争いも憎しみも無い平和な世界を見ることはできません。
当時はそれを夢見ることができたのですね。
そして、それを作品として託すことができた。
この無邪気で優しい作品は、裏返って残酷にも思え、...なんとも複雑な気持ちになります。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2017/02/blog-post.html
その作家は、建畠大夢。
彼が森永製菓に依頼され、制作したのがこの可愛らしい仏画のようです。
この記念品と一緒に渡された建畠大夢のメッセージがあります。
『此度森永製菓株式会社が日独伊親善図画を企画するに當りその記念碑原型制作を依頼され私は喜んで之に応じたのであります。
まことに子供の世界は争も、憎しみもない平和な世界であって、私達の最も憧憬している親善の極致でありましょう。
万国共通の言語-図画を通じて表現される新しい力に満ちた子供の世界をモチーフとして、その姿をとりあげ、私は原型制作に當って見ました。
愉しい子供の世界をいささかでも再現でき、各位の御期待の万分の一にも副う事が出来れば望外の幸せです。 建畠大夢』
今の私たちからすれば、日独伊の国家に争いも憎しみも無い平和な世界を見ることはできません。
当時はそれを夢見ることができたのですね。
そして、それを作品として託すことができた。
この無邪気で優しい作品は、裏返って残酷にも思え、...なんとも複雑な気持ちになります。
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