2014年12月7日日曜日

野村公雄 作 「男と女」 第拾弐回構造社展覧会出品


野村公雄は、1907(明治40)年東京生まれ、東京美術学校彫刻科塑像部選科卒。
同時期に東京歯科医学専門学校も卒業という変わった経歴の持ち主。

齋藤素巌に師事し、レリーフを多く作成する。しかし、戦後は殆ど制作を行わず、家業の歯科医を続けた。

絵葉書の作品は、第拾弐回構造社展への出品作品です。
この展覧会は1939(昭和14)年に行われました。
1939年はナチス・ドイツ軍によるポーランド侵攻を行い、第二次世界大戦勃発した年です。
日本においては、ノモンハン事件が起きた年であり、陸軍美術協会が発足、「聖戦美術展」が行われます。

そんな時勢でのこの作品は、非常に前衛的であり、アグレッシブ。
この手跡が、作品のもつ構造、構成に目を向けさせ、ジャコメッティのように人間の姿そのものを描こうとする作家の意思を感じさせます。

戦前、そんな作品を残した野村公雄ですが、戦後筆を置いたのにはどんな理由からなのでしょうか?
彼は戦時における統制によって、1944(昭和19)年、構造社を代表して解散届けを出しています。
こうしたことを行なった自身にたいして思うところがあったのでしょうか?
また、戦前彼が実験し、制作したような作品が、戦後になって前衛として受け入れられていく様子を見て 、どう感じていたのでしょう?
「戦争がなければ...」そう考えていたのでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿