2016年8月2日火曜日

天理教 道友社創立50年記念 オブジェ

また変なものを買ってしまった...


これは何かと言うと、天理教、道友社創立の50年記念、陶器のオブジェです。
または、ブックスタンドかも。
陶器というより土人形に近いかもしれません。
釉薬が剥がれそうです。
銘もありますが、よくわかりません。


「道友社」とは、天理教の広報、出版関係を行う事業部だそうです。
「創価学会」もそうですが、近代の新宗教の発展は出版の歴史とともにあります。
出版によって、田舎から都市部まで、広く、早く、多くの情報を供給し、信者を増やすことができるようになります。
今日では、メディアと宗教は切っても切れない関係です。

この「五十年記念」ですが、それは1940(昭和15)年のことのようです。
国会図書館で調べてみると「道友五十年 : 道友社創立五十年記念」という本がありました。
このオブジェは、その年の記念に制作され、配付または販売された物なのでしょう。

また、その像は、天理教での「ひのきしん」の姿を模したものだと思われます。
「ひのきしん」とは、神に対して無私による労働力の提供を言うのだそうです。
そう、この像は、数人でもっこを担いでいる労働者の姿なんですね。
反対側から見ると、それがわかります。


かつて、このような宗教的な共同社会は、世界な傾向としてありました。
まず、米国がそもそも、そういった者たちによって生まれた国です。
その中でもアーミッシュのように、独自の宗教観で生活をしている人もあります。
そして、初期共産主義者もまた、その名が示すようにコミュニティーを形成してきます。
その延長上に中国や北朝鮮があるわけです。

日本では、武者小路実篤の「新しき村」がそうですね。
現在でも「ヤマギシ会」があります。

なにより、こういった宗教の説く、労働そのものが信仰という思想は、プロテスタントによって広まり、それが資本主義を生み、西洋を近代国家に育てます。
日本では、それを模して「二宮金次郎」の思想として教化、国家建設の礎とします。

天理教は、教祖「中山みき」への個人対個人の小さな信仰から、「天理教」という宗教団体へと変化する中で、こういった共同社会宗教化へと大きく移行したのですね。
現在では、天理市という、日本でもユニークな宗教都市となりました。

「中島みゆきは中山みきである!」と言ったのは呉智英さんですが、僕にとっての中山みきは中島みゆき(様)だ!といきなり信仰告白して、この文章を終える...チャンチャン♪




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