このメダルの裏側には、「広島高師(広島高等師範学校)、広島高工(広島高等工業学校)、広島高校 弁論部 1925年」とあります。
弁論部にロダンの「考える人」とは、なかなかな組み合わせですね。
荻原守衛がロダンの「考える人」に出会って、彫刻家への転身を決めたのが、1904(明治37)年。
高村光太郎が雑誌から「考える人」を見つけ出したのが、同年1904(明治37)年。
日本にロダンの作品を広く知らしめた
『白樺 ロダン号』が発行されたのが、1910年(明治43)年。
高村光太郎による「ロダンの言葉」発行が、1916(大正5)年。
そして、1920(大正9)年には、、院展洋画部主催の「フランス現代美術展」に、日本で初めて「考える人」が展示されます。
つまり、1925(大正14)年に造られたこのメダルは、日本に「考える人」が展示されて5年後のものだということですね。
この頃には、 白樺や高村光太郎によって、ロダンの「考える人」は広く知られる作品となっていたのでしょう。特に師範学校の弁論部といった知識人の間では常識だったかもしれません。
でも悲しいかな、なんとも貧弱な「考える人」になってしまってますね!
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