今回は、戦後の彫刻の紹介です。各作家については今後掘り下げていきたいと思っています。
本郷新作 「嵐の中の母子像」 1960(昭和35)年
1959(昭和34)年、第5回原水爆禁止世界大会に、この像の原型が贈られました。 その後、銅像として平和記念公園への設置されます。
「襲いかかる業苦に耐え、悲しみを乗り越えていく母親の強い愛情を示す像に市民の平和への願いを託しています。 」のだそうです。
本郷新作 「牧歌の像」 1959(昭和34)年
ちなみにこれは、本郷新の戦中の作
第一回軍事援護美術展覧会出品 「援護の手」 1944(昭和19年)
本郷新の戦後の作品は、手法として整理されていますが、戦前とそれほどの違いはありませんね。
本郷新は「戦争」に用いられた彫刻のあり方には、それほど疑問抱いてるようには思えず、それよりも作家としての思想面に思うところがあったようです。
北村西望作 「平和祈念像」 1955(昭和30年)
「神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。」 のだそうだ
ちなみにこれは、北村西望作の戦前の作
戦時特別美術展出品「神威発動」 1937(昭和12)年
北村西望は、その技法を戦前に完成させており、戦後となっても変わることはありません。
戦時下の彫刻もいくつか制作していますが、あまり戦時を感じさせず、そのためなのか、美術家の戦争協力について触れることなく、戦後「平和祈念像」など作ってしまえる立場となります。
高村光太郎作 「乙女の像」 1953(昭和28)年
戦争協力詩をいくつも生み出し、戦争協力を惜しまなかった高村光太郎の最後の銅像ですが、こと「戦争」という点では、この銅像から受ける印象はありません。
舟越保武作 「日本二十六聖人記念碑」
矢野秀徳作 「平和の群像」 1956(昭和31)年
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