2022年6月13日月曜日

庵野秀明と高村光太郎

観てきました。「シン・ウルトラマン」!
傑作ですね~。面白かったです。
私はウルトラマンを直接観ていた世代でありませんが、怪獣図鑑と怪獣消しゴム人形を片時も手放さなっかった幼児でした。
怪獣もとい「禍威獣」の出番は少なかったですが、それでも「ウルトラマン」を堪能できて大満足でした。

さて、「シン・ウルトラマン」の脚本と編集は庵野秀明。
私が庵野監督を知ったのは「南の海のナディア」だったと思います。
Vガンのシャクティなみにイライラさせるヒロインで、湾岸戦争の煽りをうけての延期の中、面白いのかどうかわからないまま見続けて、ラストのレッドノアとの決戦のみで納得と感動させられるようなアニメでしたね......
当時のアニメ雑誌には、ナディアのどこにどんなパロディーがあるか説明がなされていました。
パロディーまたは二次創作の作家、それが庵野秀明のイメージでした。

「新世紀エヴァンゲリオン」では、パロディー作家庵野監督の持つ「オリジナル」への欲望、「オリジナル」でありたいという欲求そのものがテーマであったのではと思います。
パロディーとは、神話を脱構築するもので、神話の外にあります。
パロディーを描くものは、高みから物語を見下げ、神話を信じることができない呪いを受けます。
その苦しみを庵野監督は描いてきたのだと思います。
「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」らの神話を、その原作者のように信じて描くことができない......そんな呪いと苦しみです。

私は戦前の人物で、同じような呪いと苦しみを受けていた作家を知っています。
それが高村光太郎です。
高村光太郎は、光雲ら維新後作家の第二世代であり、西洋のsculptureを直接体験できた新世代でした。
高村光太郎は日本の「彫刻」をオリジナルさえ無いコピーであることを知っていました。
日本人である限り、その循環から自分が逃れられない事も知っていました。
その苦しみを超克するために戦争を望んだとも言えるでしょう。

「オリジナル」でありたいと願い、無知である(ように見える)父と、神話に添い遂げる荻原碌山を愛しながらも自身はその外側にあって、「詩」によって自身がパロディーであることを打ち消そうと苦しんだ彫刻家、それが高村光太郎です。
私からすれば、智恵子も「緑の太陽」に感動した学生たちも、吉本隆明を含め戦争詩で自身を鼓舞した若い兵士たちも、彼の呪いの犠牲であったと思います。

ゆえに、高村光太郎の木彫への回帰も父光雲と伝統的「日本」へのパロディーでしかありません。
「蝉」も「柘榴」もそういう作品です。

庵野監督の「トップをねらえ」や「南の海のナディア」もまた、そういった作品でしたが、「新世紀エヴァンゲリオン」でその呪いと向き合います。
先の「シン・エヴァンゲリオン」で、10年かかってやっと監督の答えが出たようですが、高村光太郎は答えを出さず引退し、引きこもり、シャーのように「ララァ・スンは私の母になってくれたかもしれなかった女性だ」と母胎回帰まるだしの作品をつくるのみ。

しかし「シン・ウルトラマン」です。
庵野秀明は神話の外にいる者だった。けれど親しい友人達と「ゴジラ」「ウルトラマン」「仮面ライダー」の話をワイワイガヤガヤ楽しくしてる間は神話の内側に入れたのではないでしょうか?
そう、樋口真嗣監督があって初めて、庵野秀明の苦しみが解放されたのではないのか。
そう思わせる映画が「シン・ウルトラマン」でした。

高村光太郎も「詩」ではなく、誰かとの会話の中にあれば、救われたのではないかと思ってしまいます。

2022年6月5日日曜日

北村西望 作 朝日新聞社健康児童賞牌


昭和5年の端午の節句、朝日新聞社主催の「健康児童賞」のレリーフです。
サイン等はありません。ただ翌年も同じ顕彰が行われ、そのメダルを北村西望が制作しています。
こちらが昭和6年のメダルです。
どちらも「桃太郎」をモチーフにしています。
作品の作風からして、昭和5年の賞牌も北村西望によるものと思われます。
面白いのは、この昭和5年の賞牌は鏡面になっているのですね。
凸凹もおなじく逆転しています。
メダルの制作過程で、石膏原型から電気鋳造で凹型をつくりますが、それとは素材が異なる気がします。
なんなのでしょう?
とりあえず、画像操作で反転してみました。


これで文字が読めますね。
更に、諧調を反転すれば、原型の姿が拝めます。

こんな感じだったのでしょうね。

それにしても「桃太郎」というのは、なんて北村西望に合うのでしょう。
勝手なイメージなのですが、どちらも「邪気の無い正義感」を感じるのですよ。
皆さんはどうですか?

さて、最後に戦前の「桃太郎」と現代の「桃太郎」の映像を紹介します。
端午の節句とは元服、つまり成人を祝うお祭りでした。
そのイメージに使われる「桃太郎」とは、子供の姿でありながら、あるべき「成人」像、つまり大人の見本であったはずです。
現代の私たちは「桃太郎」によって、どんな大人像を子供に与えようとしているのでしょう?








2022年5月29日日曜日

佐世保市 村山義信銅像 建設寄附募集趣意書

 かつて佐世保の八幡神社境内にありました村山義信銅像。


戦前の銅像カタログ「偉人の梯」によれば、大正13年に建立、鋳造者は「桑野元次郎」。
高さ9尺、幅8尺6寸。工費に7400円
そして、建設者は「忠臣村山銅像建設会」となってます。

今回、その「忠臣村山銅像建設会」の建設寄附募集趣意書を手に入れましたので、紹介です。


銅像として建てられたのは、村山家の6代目、村山四郎義信です。
彼ら村山家は建武、延元、正平の時代に南朝の為、忠節を尽くした家柄として知られ、大正5年に特旨を以て正五位を追贈されたそうです。
この資料から贈位も契機となって、銅像建立の計画が立ち上がったことが読み取れます。
越後の村山家が、なぜ佐世保で銅像になるのかについては、こちらのブログで話されてます。
http://purapurasanwa.livedoor.blog/archives/20154828.html
『(越後の)頸城地域の地頭だった七代目 村山弥治郎隆義は歴戦し息子達と共に戦没。 しかし村山一族そのものは生き残り、謙信の父の頃は筒石城城主。景勝の頃は共に会津→米沢へ。鉄砲指南役になり明治期には砲台設置の関係で佐世保へ。』との事です。

こういった、「土地」と「血筋」の関係から、村山家特定の人物の銅像とせず、「忠臣村山氏銅像」を建てるといった趣意になったのでしょう。
これが「村山義信」の銅像を建てるとなれば、彼の活躍した越後でない佐世保に建てる意味が薄まりますからね。
皇居前に建てられた楠木正成像と同様の偉人像を建てたい当時の佐世保の人々が「村上氏」とすることで建立を可能にしたわけです。
もし、これがもう少し時代を下っていれば、「村上氏」というイメージを表したモニュメントを制作していたのでしょう。
しかし、大正のこの頃は、銅像と言えばまだ一個の人物を描くものだという考えであった為、「村山義信銅像」となってしまったのでしょうね。

2022年5月15日日曜日

金城実「沖縄を彫る」

GWは仙台の古書市と古本屋巡りをしてきました。
仙台市太白区にあります萬葉堂書店では地下の書庫に潜り、金城実「沖縄を彫る」サイン本 を買ってきました。





本日、5月15日は沖縄返還50周年ということで、この書を紹介します。

Wikiより
金城 実(きんじょう みのる、1939年 - )は、日本の彫刻家。沖縄県読谷村在住。
沖縄県浜比嘉島に生まれ、京都外国語大学卒業後、西宮市立西宮西高等学校や近畿大学附属高等学校で英語を教える傍ら、彫刻制作を始める。1986年に沖縄県読谷村で彫刻制作を村の人達と共に始める。沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。強制動員真相究明ネットワーク呼びかけ人。

作品
「残波大獅子」 「長崎平和の母子像」 「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」 「隠れ念仏」、「抗議する農民」 - 三里塚闘争をモチーフにした作品で、空港反対デモで掲げられることもあった。現在は成田国際空港敷地内の団結小屋「横堀鉄塔」に設置されている。





先日のNHKのニュースで、沖縄本土復帰50年を特集し、本土の人間は沖縄の問題を当事者として考えなければならないと結んでいました。
沖縄の疎外、アイヌの疎外、朝鮮の疎外、従軍慰安婦の疎外、肌の色による疎外、性差による疎外......
これらを当事者として考えなければならない。

......そんなことが可能なのでしょうか?
私のパートナーが子育て時に感じていた疎外感にたいし、当事者として対応することにも必死だった私に、そんな世界中の疎外感を感じる人々の当事者でいられるなど可能なのでしょうか?
自信がありません。
人間は正しい未来にたいし努力すべきであり、いつか克服できるという理想主義は、私のような無能を救いはしませんし。

アートは理想主義の産物です。
そのため、政治とつながりやすい。
疎外のある所にアートがあります。
またアートによって疎外もつくられます。
良かれ悪しかれ、アートは疎外の苦しみをマッチポンプのように生みだしているわけです。

だから私は、ゴールデンカムイくらいの疎外への距離感が心地よく感じるのですよ。
ブヒィッ

2022年5月3日火曜日

「光──臺灣文化的啟蒙與自覺」カタログ

台湾の国立台北教育大学北師美術館で行われています「光──臺灣文化的啟蒙與自覺」に、私のコレクションから台湾出身の彫刻家「黃土水」の絵葉書を展示させて頂いていたご縁で、カタログを送って頂きました。
北師美術館の関係者の皆様、ありがとうございます。

私の所蔵する絵葉書も載せて頂いています。
ありがたいです。

私はこのカタログで初めて、「甘露水」の背面を見ることができたのですが、前から気になっていたのはこの女性像の髪型なんです。
https://www.moc.gov.tw/jp/information_132_142076.html
真ん中で分け、二つにまとめているのですが、これは当時の日本の女性の髪型なんでしょうか?
西洋上げ巻??でも違う様な。
もしかしたらこのカタログで説明されているのかもしれないのですが、如何せん中国語と英語で......

「光──臺灣文化的啟蒙與自覺」展は、今月から高雄市立美術館で巡回展が行われます。
https://www.kmfa.gov.tw/Exhibition.aspx
この展覧会でも絵葉書が展示されますので、どうぞ宜しく!

2022年4月26日火曜日

大正14年3月1日「造幣局事業一覧」冊子

 





明治4年に創業した造形局は、硬貨以外に、徽章や賞牌なども制作します。
そこでは畑正吉等の彫刻家が関わり、原型の制作を行いました。

この冊子は、そういった造幣局の仕事を広く知らしめるために作られたものだと思われます。
大正12年度の収入収支、作業高、仕事の手順、更には造幣局の福利厚生まで示されてます。

その中でメダルに関することでは、まず作業高(大正12年度)。
「記章及賞牌類ノ製造」―129,784円

そして、『「メダル」製造ノ順序』として、
「図案」―「塑像」―「石膏型」―「金属板」―
「縮彫機」―「手入」―「焼硬」―「焼戻」―
「研磨」―「圧縮機」―「焼鈍」―「検査」―
「着色」―「仕上」―「製品」

彫刻家が関わるのは「図案」―「塑像」―「石膏型」くらいでしょうか。
その後の工程も長く、一つのメダルにも多くの職人の手によって製品化されるのですね。

面白いと思ったのが、福利厚生「従業員二対スル施設」で住宅や診療、組合なんかの中に、「教育」があり、義務教育の補修を行う「普通科」と「豫科」そして、機械や化学を教える「専修科」の中に「彫刻部」があることです。
ここでは、貨幣やメダル等の原型を制作するための技術を学んでいたのだと思います。
教師は誰だったのでしょう?
畑正吉も教えていたのでしょうか?
そしてそれは、どんなカリキュラムだったのか。

2022年4月18日月曜日

「宮城県美術館所蔵 絵本原画の世界2022」新潟市美術館

 

新潟市美術館へ行ってきました。
4月09日(土)から5月22日(日)まで「宮城県美術館所蔵 絵本原画の世界2022」展が行われています。
目当ては、彫刻家土方久功の絵本原画です。

土方久功の絵本原画は、「ゆかいなさんぽ」「おおきなかぬー」が展示。
いや、もうただただミーハーなだけかもしれませんが、観れて良かった!
美しい!かわいい!めちゃくちゃ欲しい!
身近に置いて、飾りたい。
あと、「ゆかいなさんぽ」の表紙はあんなふうになっていたんですね~。

さらに、佐藤忠良の絵本原画もありました。
できれば「おおきなかぶ」が観たかった。
「おおきなかぶ」は娘が小さいころ好きでしたね。
娘の小学校の教科書にも載ってました。最近の国語教科書は韓国のような隣国の話を載せてますが、「おおきなかぶ」もロシアの物語として採用されているのかもしれません。

それに、娘の好きだった西巻茅子、なかのひろたかの原画もありました。
私が好きだったのは山本忠敬。「しょうぼうじどうしゃ じぷた」はまだ捨てられない。
「11ぴきのねこ」と「ぐりとぐら」は登場人物の性格悪くて苦手。

話を彫刻家に戻して。
絵本だけでなく、挿絵等々のグラフィックアートに多くの彫刻家が関わってます。
作品だけでなかなか食えない彫刻家にとって、これらは大切な収入源だったのかなと思います。
土方久功や佐藤忠良だけでなく、戸張孤雁、石井鶴三、清水三重三、河村目呂二、梁川剛一等々。
メダルや銅像もグラフィックアートの一部とも言えますし、高村光雲のはりぼて仏像や石井鶴三がおもちゃの原型つくったりと、そういう作品と、彫刻作品とを並べて展示できると面白いかもしれませんね。