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2023年10月1日日曜日

武石弘三郎ー人物と作品

2か月ぶりです!
今日から再開します。
これからも小さなコレクションの紹介していきます。

ですが今回は、ゆいぽーとで行われている「二葉アーツスクール2023 めだかの学校」のレポートです。『武石弘三郎ー人物と作品』と題し、新潟出身の彫刻家武石弘三郎について、新潟県立近代美術館の学芸員、伊澤朋美さんによる講義がなされました。
ここ「ゆいぽーと」は、妻の出身校である旧二葉中学校が前身で、そこには武石弘三郎による1942(昭和17)年制作の「竹内式部像」が現在も設置してあります。

この像の見学も行いました。





戦前の金属回収も敗戦時の銅像回収も免れ、隠すために土に埋められる等もされたこの像ですが、今はこの暗い木々合間に凛と座られています。
1メートル程しかない小さなサイズですが、威厳を感じまさせますね。

左手には日本書紀。
天皇に「尊王攘夷」を説いた人物であることを、昭和の戦時下で評するための銅像であり、つまりこういうカタチでの「戦争彫刻」と言えます。

その横には「紀元二千六百年 武石弘三郎作」と刻されています。
全国各地で行われた神武天皇即位紀元(皇紀)2600年の祝い行儀の一つとして、この銅像建立があったのだとわかります。

紀元二千六百年は昭和15年。
この像の建立が昭和17年ですから、企画が15年だったのか、それとも必要な物資がなくて延期されたのか、どちらでしょうね?
それと、金属提出を免れるために土に埋めたというエピソードがあるのですが、それも変な話で、敗戦まで埋められていたというの事なのでしょうか?
像の正面に2か所、ボルトで留められているのですが、これは取り外した跡?
色々気になりますね!

あと、私の持つ小さな銅像ですが、やっぱり武石弘三郎じゃないかも!
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2021/03/1918-kt.html

2021年3月1日月曜日

1918年 K.T作 西洋人像 武石弘三郎??





1918(大正7)年、「K.T」と銘があります。
この時期の作家で「K.T」にあたるのは、1877(明治10)年生まれの武石弘三郎ではないかと思います。

武石弘三郎は、1901(明治34)年に 彫塑科卒業後、ベルギーに8年間滞在。ブリュセル国立美術学校に学び、1909(明治42)年帰国します。
その後、昭和初期までの間に多くの銅像を手掛けます。
1928年に出版された「偉人の俤」という銅像図版には45件をも銅像が掲載され、地元新潟だけでも、
・三上春行上半身像(南蒲原郡三条三条小学校 1914年)
・池原康造胸像(新潟医科大学付属病院敷地内 1918年)
・山田又七座像(長岡市 1920年)
・星野嘉保子上半身像(長岡市公園内 1923年)
・竹山 屯胸像(新潟市 1926年)
と5件あり、
文京区立森鴎外記念館にある1914(大正3)年作の森鴎外胸像も彼の作です。


多くの作品が「K. TAKEISHI」と刻まれており、本作品の「K.T」とは異なりますが、如何でしょう?
彼の作品は、佐々木嘉朗による『彫刻・武石弘三郎ノート』というまとめられた著作があります。まだ、この本を参照していませんので、確認でき次第、追加でお知らせいたします。