2024年2月4日日曜日

植民地の銅像

1928(昭和3)年、朝鮮の釜山商業会議所に建てられた「大池忠助翁銅像」の銅像です。
作者は上田直次。
明治13年広島生まれ、木彫を山崎朝雲に、塑像を朝倉文夫に学いびます。
昭和11年にはドイツ人フォン・ウエグマンに認められ、独仏に紹介されたりした。晩年は広島県美術展の彫刻部発展に尽力されました。
文化遺産オンライン
広島県立美術館には、上田直次作「杉本五郎像」(1938年)が所蔵されています。

銅像となった「大池忠助」は、安政3年生まれ。明治8年朝鮮釜山にいき、海運・製塩・水産・旅館業などの事業を起こします。
1915年の第12回衆議院議員総選挙で長崎県対馬選挙区から無所属で出馬し当選したが、当選無効訴訟事件の確定に伴い議員を退職しています。
彼は、植民地期の全時期を通じて釜山府協議会協議員、釜山商業会議所会頭、釜山繁栄会会長、官選慶尚南道議員等を務める重鎮であり、その功績を称え、亡くなる2年目の昭和3年に釜山商業会議所前に銅像が建つこととなったのでしょう。

上田直次としては、亡くなる、前になんとか…といった思いがあったかもしれません。
絵葉書には、そんな「大池忠助翁銅像」の除幕式、お披露目の瞬間を撮影されています。
釜山商業会議所が紅白の垂れ幕で飾られ、大勢の人が集まっています。

朝鮮等の植民地に建てられた銅像というのは、やはり民族意識を刺激されるものです。
ですので、当時から同じように残っているものはありません。
この上田直次の作品も、すでに失われているようですね。

そんな植民地の銅像をもう一つ紹介します。

「Rhodes statue, Botanic Gardens, Cape Town 」と題されたこの絵葉書には、南アフリカの鉱物採掘で巨富を得て植民地首相となり、占領地に自分の名(ローデシア)を冠したギリス帝国の植民地政治家「セシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes)」の銅像が写されています。
彼は、「神は世界地図がより多くイギリス領に塗られることを望んでおられる。できることなら私は夜空に浮かぶ星さえも併合したい」と著書の中で豪語した人物ですね。

銅像は、1908年にケープタウンのカンパニーズ・ガーデンに建てられました。
現在も、見ることができます。

近年になってローズの人種差別主義への反発の声が南アフリカ及び祖国イギリスで高まり、2015年にはオックスフォード大学にあるローズを顕彰する銘板を校舎の壁から撤去することを決め、銅像についても撤去する意向を明らかにしました。
これに影響を受け、南アフリカ各地にあるローズの銅像や記念碑を撤去しようという動きが広がりつつあるそうです。

何かを公的に顕彰する、記念するという行為そのものが、私たちには難しくなっているのでしょう。
それは良いことだと私は思いますが、公の中でしか生きられないのも私たちであり、混乱はしばらく続くだろうと思います。
撤去工事終わる 群馬・高崎市の朝鮮人追悼碑めぐり県が行政代執行

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