2024年1月21日日曜日

美術史家「野間清六」原稿


美術史家とか美術評論家って、彫刻家や画家以上に同時代的で消費されて忘れられていくのですよね~
そこが好きで、チョコチョコとそういった方々の原稿や葉書をコレクションしています。
大正12年 森口多里の年賀状

今回は 美術史家「野間清六」の肉筆原稿です。
野間清六は、戦前の帝国博物館東京から東京国立博物館まで長年勤められた、古代~前近代彫刻の研究者です。その分野の著作を多く出しています。

その著作をネットで拾い上げても、
・日本古楽面(昭和10年)
・日本美術大系-彫刻(16年)
・日本彫刻の美(18年)
・日本仮面史(18年)
・古仏の微笑(21年)
・美を慕う者へ(22年)
・日本の名画(26年)
・御物金銅仏(27年)
・日本美術辞典(27年共著)
・日本の面(28年)
・日本の絵画(28年)
・土の芸術(29年)
・墨の芸術(30年)
・飛鳥、白鳳、天平の美術(33年)
・日本美術(33年)
・日本美再発見(38年)、
・続日本美再発見(39年)
そ金銅仏(39年)
・小袖と能衣裳(39年)
・装身具(41年)
・インターナショナル日本美術(41年)
と、本当に多作。
私もこれらのうち、何冊か持っています。

この原稿は、野間清六が東京国立博物館普及課長時代のものですね。
伎楽面について書かれています。
昭和10年の彼の著作が「日本古楽面」であったことからも、彼のメインワークだったのでしょう。
それほど重くない内容ですから、エッセイのお仕事だったのかもしれません。
こうした仕事を通して、野間清六は日本美術史を作り上げてきました。
岡倉岡倉天心が見つけ、和辻哲郎の「古寺巡礼」で一般化した古仏の美ですが、これを美術史として体系化していったのは野間清六と言えるでしょう。

歴史学というものは、実証を重ねて「これだろう」というコンセンサスを作り出していくわけですよね。
ですから「実証」もなく「コンセンサス」得られない邪馬台国はどこにあるのかはわからないし、坂本龍馬の評価は定まらない。

けれどそれが歴史学という学問です。
けれど美術史はそれと異なり、力のある美術史家の美意識が正史になってしまうことがあります。ざっくり言えば「実証」と「コンセンサス」が不要なんですよね。

新潟市美術館で行われている(本日まで)『発掘された珠玉の名品少女たち― 夢と希望・そのはざまで 星野画廊コレクションより』展にて、藤井素彦氏による「モガとモ画ー歴史的考察ー」講義が行われました。
かなり刺激の強いお話でしたが、その中で美術史家、学芸員、評論家といえども、「見たいモノしか見ない」故に目の前にある作品の評価を捻じ曲げるという内容をお話しされていました。
つまり美術史というものは、「見たいモノしか見ない」目によって選ばれたモノが、政治とパワーバランスで選別されてできているとも言えるわけですよ。
私たちの学んだ美術史とは、まぁそんなものなんですよね。

嘘くさくてグレーな美術史…だからこそ面白い。

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