2019年7月6日土曜日

日本帝国徽章商会 

明治後半頃の「日本帝国徽章商会」チラシです。
表には「日本帝国徽章商会」がどれだけ凄いかをドャった文章、その隣に徽章と賞牌の功用として、日本の体育の向上などに賞牌がどれだけ役に立つか、日本にとってのメダルの必要性を説いています。
そして裏には、日本帝国徽章商会のメダルを多数記載。


このチラシでは、明治10年に起業となっていますが、山田盛三郎著「徽章と徽章業の歴史」によれば、日本帝国徽章商会の創業者鈴木梅吉は、明治13年ごろに小間物屋をはじめ、明治18年ごろからメダルの受注を受けたとあります。
日本帝国徽章商会として登録したのが明治10年と言うことでしょうか?
しかし、東京千代田区にある「徽章業発祥の地」の碑文には『明治18年(1885),鈴木梅吉により 日本帝国徽章 商会が創られました。』とあります。
チラシの方が明治10年と盛っているのでしょうか?

また、チラシには当時の日本帝国徽章商会の店構えがイラストで載せてあります。
先の「徽章と徽章業の歴史」にも写真がありますが、正にその姿ですね。

「徽章と徽章業の歴史」より
 看板には「賞牌徽章金銀盃木盃 貴金属品製造所 日本帝国徽章商会」とあり、その上には「鈴木」の看板が掲げてあります。これは写真では見えない位置になっていますね。
チラシの絵を観ると、ガラスケースを多用した、和洋折衷のつくりである事がわかります。

その隣に「 UMEKICHI SUZUKI」「MEDAL MAKER」と掲げた西洋館が建っています。
「徽章と徽章業の歴史」によれば、これが建ったのは大正の初めで、「時計部」であったといいます。
チラシは明治30年ごろで、大正初めとは時期が異なりますが、こっちは「徽章と徽章業の歴史」の誤りかもしれません。

この建物、関東大震災は乗り越えたのでしょうか?
日本帝国徽章商会のあった麹町区飯田町(現飯田橋)は震災の影響が少なかったと言いますがどうだったでしょう?
日本のメダル史の遺物として現代まで残っていたらなぁと思います。(さすがに東京大空襲は乗り越えられなかったでしょうけど...)

0 件のコメント:

コメントを投稿