2018年6月11日月曜日

佐藤忠良作「下中弥三郎」メダル

1968年の平凡社「世界大百科事典販売コンクール」のメダルです。

下中弥三郎をモチーフに描かれたこのメダルの作者は、「CHU」のサインから、佐藤忠良だと思われます。
しかし何故、佐藤忠良が下中弥三郎を描くことになったのでしょう?

佐藤忠良と言えば端正な女性像で有名ですが、おっさんの像もないわけではありません。
王貞治の像やメダルなんかもありますね。
http://www.asahi.com/culture/gallery_e/view_photo_feat.html?culture_topics-pg/TKY201101120322.jpg

とは言え、相手は下中弥三郎です。
彼は、平凡社の創業者であり、教員組合(日本教員組合啓明会)の創始者、また労働運動や農民運動の指導者...そして愛国者にして国家社会主義者だったと言われます。
戦後は世界連邦運動に関わるなど、右と左を思いっきり振りぬく姿は、そこらのネットウヨ・サヨとは違う巨大なスケールを持った人物です。

下中弥三郎の本質は「平凡社」の名前からは遠く、皇国日本による世界の統一と平和を求めた夢想家だったと言えます。
ジョン・レノンのように世界中の人々の幸福を語る彼は、世界中の人々が異なる正しさの中で生きている事が想像できず、自身の正しさを理解しない人々を拒絶しました。
しかし、ヒトラーやポル・ポトのように独裁者にもなれなかった彼は、ユートピアの夢の中でしか生きれなかった人だったのでしょう。

そんな下中弥三郎と佐藤忠良はどこで繋がったのでしょう?
戦後、シベリア帰りの佐藤忠良は、本郷新と共に多分に政治的な彫刻家でした。
一時期は共産党員でもあり、平和活動などを行っていた佐藤忠良は、世界連邦運動に邁進していた下中弥三郎をリスペクトする機会があったのかもしれません。

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