2017年11月25日土曜日

Intermission 来年は明治150年!

来年2018年は明治150年にあたり、国を上げて関連イベントが行われるようです。

明治時期の作品の展覧会も多く開かれることだと思われます。
例えば、昨今流行の明治の超絶技巧、自在置物や牙彫、生人形。
これら以外のワードを上げれば、海外のモニュメント(銅像)との出会い、ラグーザとその教え子、彫塑の輸入、骨董輸出、廃仏毀釈、天心の仏像修理、高村光雲、石川光明...
こういったテーマでの展示がなされるのでしょうね。

しかし、これらは明治初期、文明開化時期のお話しなんですね。
そこで、私が上げてみたいテーマは明治後期、題して『知って!明治40年代の彫刻』展です。

明治40年は、高村光雲の息子、光太郎が欧州に渡り、帰国して「緑の太陽」を謳った時期になり、文明開化世代から交代が行われ、新しい世代が台頭します。

そして、特権階級ではない市井の日本人、美術家が海外へ渡りだした時代です。
例えば、明治41(1908)年に帰国した荻原守衛。
明治40(1907)年から43年にかけて農商務省海外実業練習生として渡仏した畑正吉。http://www.tobunken.go.jp/materials/hatapict

それから、当時の欧州で活躍した漆芸家、菅原精造。

明治40年に、日本人で初めてサロン出品を果たし、同年巴里で亡くなった本保義太郎。

少し時代が早いですが、明治36年に渡欧し、国立セーヴル陶磁器製作所に入所、明治43年 仏国政府より「アカデミー・ドゥ・オフィシヱ」勲章授与した沼田一雅。

こうした明治40年代渡欧組作家たちは、荻原守衛や光太郎のみ目立っているだけで、特に欧州を仕事の舞台と選んだ作家たちは、殆ど知られていないのではないでしょうか?

当時の日本の彫刻界がある程度層が広くなったことで、朝倉文夫や北村西望のような非留学組が政治力をつけてきます。
黒田清輝のような藩閥とは異なる作家達が、官展を舞台に台頭してきたわけです。
その結果、渡欧組作家が陰に隠れてしまったのでしょう。
また、渡欧組作家たちが当時まだ若かったことも理由かもしれません。

そこで、『知って!明治40年代の彫刻』展では、これら明治40年の渡欧組作家たちの当時の作品を展示したい!
渡欧による彼らだけでない、日本への影響を、そして欧米への影響を、更に若い彼らの時代的な繋がりを、その作品たちで現すわけです。

しかし!そこで一番問題となるのは、彼ら渡欧組作家たちの当時の作品の殆どが残っていないことなんですよね...
発掘..したいです...

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