2023年2月20日月曜日

大浦信行 作「遠近を抱えて」シルクスクリーン 19/90


 大浦信行 作「遠近を抱えて」

先日買い求めた作品を紹介。
大浦信行 作「遠近を抱えて」。
1986年、富山県立近代美術館の企画展「とやまの美術」に出品された「遠近を抱えて」14点の内の1点、そのエディション(19/90)シルクスクリーン作品です。

この展覧会では右翼による抗議活動が起き、美術館は作品の非公開と売却を決定、それにたいし大浦氏らは「表現の自由」や「知る権利」を侵害されたとして、県を相手取り、損害賠償や不許可処分の無効確認、作品の買い戻しなどをも求めて提訴します。「昭和天皇コラージュ事件」ですね。

また、「あいちトリエンナーレ2019」での「表現の不自由展・その後」では、「遠近を抱えてPartⅡ」として大浦氏による「遠近を抱えて」を燃やす映像作品が展示され話題となりました。

とはいえ、現在の我々から観れば、穏やかな作品ですよ。
これが不敬であった大らかな時代がうらやましくもあります。
天皇崇拝者である私でも特に問題と感じませんでした。肖像は天皇御自身ではありませんので。

「表現の不自由展・その後」の顛末を見て思うのは、展示する側、批判する側共に自身が被害者だと考えているところです。
「昭和天皇コラージュ事件」の頃のように右翼団体等の利権も支持もない中で、これらを批判したのは「普通の(あぶない)ひと」であったように思います。
彼らのそれはアートという権威への反発でもありました。

しかし、展示する側は「表現」にたいする外力、権力からの圧力と考えた。
だからこそ「表現の不自由」という対権力の言葉が使えるわけですから。
どちらも被害者、どちらも相手を権威と考えている中で、違いと言えば展示する側は「表現」ができること。

であるならば、表現に関わりそれを守ろうとする人がしなければならない事は一つ。
批判した「普通の(あぶない)ひと」の表現を守り、世に出していくことなのではないでしょうか?
彼らは何故批判せざるをえなかったのか、その生い立ちを「知る」そして問う必要があるのではないか?たとえそれがヘイトであっても。

始終被害者としての言葉しかなかったBTの特集を読むと、難しいのだろうなと思いますが。
(この問題に向きあう、鈴木大介著「ネット右翼になった父」を買いました。まだ読んでませんが楽しみです。)

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さて、この世にある本当の意味での「表現の不自由」作品とは何か。
そんなことを考えると楽しくなりませんか?
表現として生まれながら、決して表には出てこれないもの。
そういった作品ってなんだろう?

風刺であるチャップリンの映画だとか、浮世絵だとか。
でもまぁ、こういう表現は必要なのでしょうがつまらない。
ヨーゼフ・ボイスとかの反権威スタイルは、現代の私たちには刺さらない。
バンクシーだって反権威スタイルをまとったアート権威主義でしかないでしょ。
(あぁでも、呉智英氏の『吉本隆明という「共同幻想」』は反権威として面白かった。これを美術としてできないかな?)

今さら戦争画なんてタブーでもないし。
ただ、最近話題になった、ウクライナで作られた死んだロシア兵の衣服で作られた呪いの人形はなかなか。

じゃあ、犯罪者の獄中絵とか。
永田洋子、植松聖、林眞須美......
けどこれらは、永山則夫の「無知の涙」みたいなもので、後ろ盾あるし、表現が咎められているわけでもないし。
寧ろ例えば、オウム真理教の麻原彰晃の説法テープとか、坂本弁護士一家が殺害されるきっかけとなったTBSのインタビューとか。
美術作品ではないけど。

今なら旧統一教会関連かな?
または、北朝鮮。
東京美術学校で学び、北に渡って金日成やスターリンの銅像を手がけた彫刻家、文錫五の作品は観てみたい!
中国では依然紹介した红光亮のつげ彫刻。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2021/03/70.html

こういうわかりやすいタブーではなく、「表現として生まれながら、決して表には出てこれないもの」というくくりなら、例えば70~80年代に芸大出たけれども鳴かず飛ばずで晩年となった独居老人作家の作品とかを集めて.....嫌すぎる。

2023年2月12日日曜日

式場隆三郎著 文学的診療簿

今日は時々お届けする式場ネタです


精神乖離症患者の絵画
封筒の表裏に書きつけた密画
この患者は嘗て洋画家だった


精神乖離症患者の筆跡
記号と文字との混合した文章


精神乖離症患者の刺繍

昭和10年発行(昭和13年再販)式場隆三郎著「文学的診療簿」です。
式場隆三郎の「天才」と「狂人」との考え方は時代によって変わります。
と言いますか、時代に合わせて変えていると言った方が正確なのかもしれません。

①「狂人」≠「天才」時代 ~昭和前期

②「狂人」⇒「天才」時代 戦時下

③「狂人」≒「天才」時代 戦後~

②は山下清が発見された時代。彼らを評価するため、または戦時下での式場自身の仕事を守るためにも「狂人」は常人以上の「天才」に成りえるとの言説が必要でした。

③は山下清の価値が固まった時代。「狂人」故に「天才」だと山下清と言う神輿を担いだ時代。その背景には「民衆」の美術である「民藝」があり、ある意味、柳宗悦への対抗であったのかもしれません。

この「文学的診療簿」は①の時代
式場隆三郎はファン・ゴッホの中の「狂人」と「天才」とを自身の精神医としての立場から分けることができると考えていました。

文学的診療簿より―天才の幻想と狂人の幻想―
天才の幻想は素晴らしい芸術を生む。然し精神病の幻想はそれ以上に珍奇であっても藝術にはなり得ない。
例えばキリアム・ブレークの絵を見る。......彼は幼児から幻視幻聴があった......然し彼の芸術には全く病的な所がない
プリンツホルンの編んだ画集を見ると......それは狂人の症状であり排泄物であって藝術ではない。

こう考えていた式場は、時代と共に考えを緩やかに変えていきます。

式場隆三郎は大衆の欲望の権化であり続けました。
つまり、彼の思想の流れを読み解けば、大衆がアールブリュットに何を望んでいたのかがわかります。式場隆三郎は社会を映し出す鏡です。

2023年1月29日日曜日

皇紀弐千六百年 長谷川塊記作 菅公銅像建設記念メダル


長谷川塊記は、1898(明治31)年鳥取生まれ、朝倉文夫に師事し、東京美術学校彫塑別科卒。官展の他、東台彫塑展や朝倉塾展、塊人社展に作品を出しています。

このメダルは、皇紀弐千六百年、1938(昭和13)年に埼玉県東吾野小学校に建立された、長谷川塊記作菅原道真公銅像の記念品と思われます。
菅原道真公の銅像は現在も東吾野公民館の廟の中に建ってます。

メダルの背面に「塊記」の銘があり、このメダルも長谷川塊記の作品とわかります。
このメダルを見て思うのは、かなり簡易な造形なんですね。
たしかに菅原道真公の銅像もそれほど細部に拘った作にはみえません。
ただ、神の姿を描くということで、ある程度形状に自制があったのかもしれません。
父親が仏師であったことも影響しているのかも。

彼の作品は鳥取県立博物館で観ることができます。
これら作品からも、長谷川塊記は師の朝倉文夫よりも身体を理想的な姿に描くスタイルだったと言えそうです。
それもそういった仏師の出であった事、仏像や神像という身体を理想化した造形の影響があったのでしょう。
戦後の人物彫刻は、人体のリアリティーよりも理想化に進みます。
長谷川塊記はその間の作家であり、そういった理想化に影響を与えたのが、日本の仏像や神像であったと言えるのかも。

2023年1月25日水曜日

「平櫛田中回顧談」本間正義 小平市平櫛田中彫刻美術館編

昨年の9月に発行された「平櫛田中回顧談 聞き手本間正義 小平市平櫛田中彫刻美術館編」です。
美術評論家本間正義が生前の平櫛田中から聞き取った内容を文章にし、小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明氏が編集された本です。
先日、新潟市美術館で購入いたしました。

平櫛田中の口調そのままに、当時の情景が詳細に、生々しく語られていて素晴らしい資料です。
彼の頑固で面倒な性格を、自身でも自覚していたあたりが面白い!

彼の抜群な記憶力で多くの名前が出てくるのですが、それがいちいち良い話。
東京美術学校改革で高村光太郎を推薦するも、三顧の礼を尽くしても断られた話は、以前から興味を持っていたエピソードでもあり興味深い。
ただ、その改革で朝倉文夫や西望が追い出された理由までは語られていませんでしたが。(そこが最も知りたい)

加納鉄哉が若かりし平櫛田中の観音像を70円で買い、それが林忠正のカタログに古物として載っていた話。
美術学校で教えている石井鶴三にたいして、彼を神様扱いしている助教授笹村草家人に困った話。(やっぱりそういう人なのね)
米原雲海、山崎朝雲との関係等々。
昭和天皇が「鏡獅子」の話でお笑いになったというエピソードも良かった。

それとその「鏡獅子」の制作で、途中で興味が薄れ、のびのびとなって20年と自身で語られているところが生々しくて良い。
そういうものですよね。あまり神格化しちゃ駄目ですよね。
彼が量産販売目的で制作したであろう芭蕉像や気楽坊なんかも、他の作品と同等に語っている事に平櫛田中の仕事に対する真摯な姿勢をみます。
あの作品は誰それにいくらで売れただのが臆面なく語られているところに、高村光雲から連なる所謂彫刻師としての平櫛田中の姿が見えてきます。
そんな平櫛田中によって生まれたからこそ、彼の作品は面白い。
それをこの本で確認できたことが一番の収穫でした。

2023年1月23日月曜日

大正3年改正 菊地石膏模型所 「石膏模型目録」



菊地鋳太郎による石膏模型所の「石膏模型目録」は、明治40年改正版が存在するよう。
この大正3年改正版はその10年後の発行となります。




販売カタログですので、各石膏像の価格が記されており、この大正3年版では、像例えば「ミロ島のヴエニユス(ミロのヴィーナス)胸像 原寸大」が「金拾参圓五拾銭」となってます。
これが、他の版ではいくらになっているか、興味深いところです。




他に興味深いのは、菊地鋳太郎作と思われる伊藤博文や東郷像のような日本人を描いたものがいくつもある事。雪見灯篭の石膏像なんていうのもあります。
こういった作品が、このカタログの表紙の中心に添えられている点も興味深い。
また、昭和に入りモチーフとして多く用いられる二宮尊徳、和気清麻呂、武内宿禰がすでにラインアップされている事もそうですね。


次に、手工科や図画の学生用として安価に作られた石膏セットが販売されている事です。
その販売に尽力されたのが東京高等師範学校の岡山先生、新潟県師範学校の西垣先生、東京赤城小学校訓導山本先生と記してあり、戦前の手工教育論者であった岡山秀吉、同じく新潟は西垣維新と思われます。山本先生は不明。
この石膏セットは、明治40年改正版はあるのでしょうかね?
以降の版でも内容に変化があれば、それは石膏での美術教育の発達史の変化だと言う事です。
面白いですね。




あと、私の所有する「百合花ノ像本」も載ってました。
良かった~

最後に、「注意」として粗品を乱造して安く売っている他業者があるようで、気を付けるように書かれています。
大正3年には、そでにそういった業者が出回っていたんですね。
もし、それが現存するなら、それもまた観てみたいです。

2023年1月16日月曜日

土方久功 作 俳優座十周年記念像


私のコレクションしている土方久功作品、3点目。
「俳優座十周年記念」の像です。

築地小劇場の演出家であった土方与志がいとこ甥に当たり、劇場の「葡萄の房」章をデザインするなど、戦前から劇場に関わっていたした土方久功。
1954年、劇団俳優座の創立10周年事業としてこの像は制作され、同年開場した俳優座劇場で記念品として用意された作品と思われます。

多くを南洋の人々をモチーフに制作した土方久功ですが、この像の鋭い目と盛り上がった髭から役者ではないかと推測します。
わかる人が見れば、この役だってわかるのかもしれません。リア王??

2023年1月15日日曜日

写真師井谷豊三撮影 海女石膏像

上野仲町の写真館で撮られた海女の石膏像です。
井谷(T.Itani)とあることから、写真師井谷豊三による作品とわかります。
井谷豊三は明治期の写真師で、写真の形状からもその時期の写真と石膏像だと思われます。

西洋の裸婦像を、当時の風俗の中で表現しようとし海女をモチーフとして選んだのでしょう。
作者は4不明ですが、作風から新海竹太郎にも見えますが、どうでしょう?