2017年1月3日火曜日

戦争画 1938年 南京下関

このブログでは、基本的に昭和20年以前の彫刻と、時々戦中の児童画について書いています。
今年は、それに加えて、戦争記録画、もう少し幅を持たせて、戦時下に描かれた戦争をモチーフとした絵画、戦争画のコレクションと、それについて書いていこうと思っています。
前回のスケッチもそういった戦争画の一枚です。

では、今日の一枚...

 


作家は水原房次郎。
題名は「破壊の跡」
1938年に、彼が出兵していた南京下関にて描いた作品です。
板に下書きのような油彩がなされ、その時、この場所で描かれたことを生々しいく示しています。

この時代の南京と聞いてお分かりの方もあるかと思います。
描かれた前年、1937年(昭和12)年に南京事件(所謂、南京大虐殺)が起きます。
これは、それによって破壊された町、多くの死体が運ばれたという下関を描いた絵画です。

歴史は恣意的なものであり、「正しい歴史」は無いと私は考えていますので、ここで事件のあれこれを述べることはしません。
ただ、この板きれに描かれた絵は、多くの人の死を背負っていることは確かだと思います。

さて、作家の水原房次郎ですが、彼は戦後に独立展系の作家として活躍します。
戦時は従軍記者として、かの地で制作活動を続け、聖戦美術展や大東亜戦争美術展に出品しています。
ちなみに福岡県立美術館に水原の「夏の夜 戦果をききいる少年達」という作品が収蔵されていまして、サイトを見ると聖戦美術展出品作となっています。
http://jmapps.ne.jp/fma/det.html?data_id=10072

私の調べたところですと、題名は「大本営発表二ユースに聴き入る少年達」。聖戦美術展ではなく、1942年の大東亜戦争美術展に出品されています。



ここまででしたら、戦時の多くの作家と違いはありません。
実は、水原房次郎は戦後、中国にある南京大虐殺記念館に「南京破壊の跡」という大作を寄贈しています。
http://j.people.com.cn/n/2014/1205/c94473-8818385.html

作家にどういう意図があったのか伺い知ることはできません。
ただ、十分に政治的な作品である「破壊の跡」は、南京に同名の作が寄贈されていることで、さらに政治性を高められているのではないかと思います。

この作品をどこかに展示して、紹介したいのですが、ここまで政治的だと難しいかな?
どなたか興味ある方、いらっしゃいませんか?

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