2016年12月18日日曜日

愛知県美術館「日本で洋画、どこまで洋画?」

愛知県美術館へ行ってきました。
今日までですが、コレクション展「日本で洋画、どこまで洋画?」が行われています。
展覧会の感想を書きたいところですが、まずは、それと同時に開催していました「うえからながめる」展がかなり良かったので、これについて。

この展示では、鎌倉時代の春日宮曼荼羅図から、東松照明の写真まで、俯瞰図をテーマにが展示がされていました。

所謂日本画は、古来より俯瞰図で描かれてきました。
絵巻物もそうですが、子供の絵のように対象を記号とし、俯瞰した場所に配置して構成するんですね。
それが、飛行機などの発展により、実際に「空から日本を見てみよう」ができるようになり、その結果、画家は新たな視点を手に入れ、作品に現します。

その古来からの視点と、現代的な視点との差を、須田剋太の「甲子園高校野球」や香月秦男の「サッカー」など各々のちょっと変わった作品の魅力も加わって、面白い展示になっていました。

た・だ・し...愛知の美術館の展示で「俯瞰」をテーマにしているのに、吉田初三郎が無いのは何故だ?
http://www.asocie.jp/oldmap/hatsusaburo.html
彼は、関東大震災後、犬山を拠点に仕事をします。
愛知県美術館は持っていないのかな?

さて、次は「日本で洋画、どこまで洋画?」についてです。
テーマとしては、日本洋画史をその流れの中で見せた...というものなのでしょうが、実際見た感想は、全て時代の「日本の洋画」というものを、それこそ俯瞰で、フラットに、同じ土俵で見せるといった、かなり(良い意味で)凶悪な展示に思えました。

そう見たとき、高橋由一から奈良美智まであった中で、飛び抜けて見えた作品は、やっぱり藤田嗣治でしたね。
日本画にその手法の源があるとしても、この中では唯一無二のオリジナルだと感じます。

また、好みと言う点では、戦前の官展出品作が良かった。
大人っぽいといいますか、金や名誉を含めた現実を背負った人の絵なんですよね。
それが心地よい。
現代作家は、逆に子供っぽく演じているように思いました。
中村彝や神原泰の方が、本当の意味で若々しい。

それと、これは自分でも理由がよくわかっていないのですが、現代に行くにつれてどんどん画面が小さく感じるのです。もちろん、それは作品の大小に関わらず。
個々の作品のセレクトのためなのか、それとも時代性にそういった流れがあるのか。

考えてみると、その要因の一つは、作品がオブジェ化しているからかもしれません。
一つの物体として完結していると言いますか。
オブジェ化によって、作品の技術的な面をフォローできるからかもしれません。
例えば、アールブリュットの作品なんかがそうだと言えますね。
ただ、以前この美術館で見たポロックは大きかったなぁ~

また、展示作品の中に鬼頭鍋三郎の戦争画の習作がありました。
親族による寄贈のようでしたが、これは嬉しいですね。
戦争画は、歴史と繋がっている作品だけに、こういった秀作であっても意味を持つものだと思いますし、たしかに意味を感じました。
ただ、全ての時代の作品をフラットに見ると言う意味では、戦争画の代表がこの作品では少し寂しいものがありますが。
それでも、このように世に出て、美術館などで展示されるのは嬉しいです。
愛知県美術館が、東京国立近代美術館や靖国神社に負けない戦争画館になると良いな~~~~

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