2016年3月20日日曜日

Intermission プリキュアに見る日本の歴史

娘がプリキュアに興味を持つ歳になり、同い年の子供たちと同じようにドハマりしています。
まったくよくできたコンテンツですね。
キラキラでカワイイ世界は、女の子の共通した欲望を刺激するのでしょうね。


こういったコンテンツが生まれた歴史を見てみると、まずは2~5人の正義が一人の敵を倒すというスタイルは、石ノ森正太郎原作「秘密戦隊ゴレンジャー」から繋がる戦隊シリーズを踏襲しているのだと思われます。

そして、先行研究で明らかなように、このスタイルは、歌舞伎の「白浪五人男」から受け継がれているとのだそうです。

wikiより「舞台に来て捕り手を前に五人組が勢揃い。一人ずつ「渡り台詞」で見得を切り、縁語や掛詞を駆使した七五調のリズミカルな「連ね」で名乗る姿には歌舞伎の様式美が凝縮されている。この様式ははるか後世の『秘密戦隊ゴレンジャー』を初めとする子供向け「戦隊もの」のヒーロー番組にまで受け継がれている。


つまり、一種の伝統芸なのですね。

次に、プリキュアは所謂「魔法少女」ものでもあります。
「魔法少女」の歴史を遡れば、「ミンキーモモモ」に「」ひみつのアッコちゃん」そして「魔法使いサリー」までその系譜は繋がります。


この、横山光輝原作「魔法使いサリー」ですが、これは日本版「奥さまは魔女」として企画されたものです。
つまり、アメリカのホームドラマ、米製メディアの影響、強いていえば、GHQ以来の親米政策の影響があると言えるのかも。


そうして、今年のプリキュアは「魔法使いプリキュア」となるのですね。


さらに、「戦う少女」ものとしての系譜もありまして、これは魔法少女ものとも重なりますが「セーラームーン」や「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」、その元となった「スケバン刑事」、そしてその源流を辿れば、手塚治虫の「りぼん騎士」です。


「リボンの騎士」は、手塚治虫の好きだった宝塚歌劇団に影響を受けて生まれたと言います。
宝塚は戦前からありまして、1927年の『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』から飛躍的に人気を集めます。
この演劇は、エコールドパリの狂乱時代、かの地の演劇に影響を受け、製作されたものです。
そして宝塚での男装もこの時代から始まります。




また、こういった女子による演劇は、日本の伝統にある白拍子・女歌舞伎・女義太夫などの系譜に類するものと言えるようです。

それに、「戦う女性」で言うならば男装の麗人にして女スパイ、川島芳子の存在も忘れてはならないでしょう。
彼女には、変身に美と歌と戦い、プリキュアのすべてが含まれていると思えます。


こうして見ると、プリキュアには、日本の伝統芸能と、欧米の華やかだった頃の文化とのハイブリットであったと言えますね。
いや、勉強になります。
と、いうわけで、明日の日曜も早起きだ!

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