2019年5月6日月曜日

畑正吉作 第27代内閣総理大臣 濱口雄幸 レリーフ

1928(昭和3)年に起きた張作霖爆殺事件の責で田中義一内閣は総辞職。代わって濱口雄幸が内閣総理大臣に就任します。
1930(昭和5)年11月14日、濱口雄幸は午前9時発の神戸行き特急「燕」に乗車するため東京駅を訪れ、ホームを移動中に愛国社社員の佐郷屋留雄に銃撃されます。
この傷がもととなって翌年、亡くなります。


佐郷屋留雄は、明治41年、吉林省生まれ。満州で岩田愛之助の右翼団体愛国社には入り、戦後は血盟団事件の井上日召らと護国団を結成、後に団長となる人物です。

濱口首相襲撃事件は、1932年より始まる血盟団事件、その後の五・一五事件、二・二六事件の発端となる事件であり、こうして日本は右傾化していきます。

さて、ここでやっと濱口雄幸のレリーフについてです。
こうした歴史を思いつつ、このレリーフを見れば、歴史のモニュメントとして立ち上がってきます。
畑正吉は、濱口雄幸をモチーフにその時代を表現した...とも言えるかも知れません。

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