2023年6月19日月曜日

新海竹太郎作 前愛知醫専校・院長熊谷幸之輔氏壽像 銅像除幕式絵葉書





熊谷幸之輔( 1857-1923)は、1881(明治14)年に、愛知医学校の後藤新平校長から一等教諭として名古屋に呼ばれ、その後、愛知医学校や愛知県立医学専門学校などの校長を33年間にわたって務めた人物です。

この銅像除幕式は、1918(大正7)年。
熊谷幸之輔は60才。彼の業績を称え、愛知県立医学専門学校に建立されます。
(本人自身が写っている写真がありますね)
現在は、その胸像のみ、名古屋大学の医学部に安置されています。
それにしても、自分自身の銅像の建立ってどういった気持になるのでしょうね!

作者は新海竹太郎です。
東京文化財研究所には、彼の残した熊谷幸之輔像のガラス乾板があります。
https://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai/27991.html
材質はブロンズ、高さは5尺(1.5M)。
銅像に合わせて作られた台座が、かなりお洒落ですね~
これが残っていないのは、本当にモッタイナイ。

2023年6月12日月曜日

日名子実三 作 昭和2年 汎太平洋水上競技大会・国際水上競技大会 メダル



久しぶりに日名子実三のメダルです!
昭和2年に、報知新聞社が米濠の選手をまねき、東京で汎太平洋水上競技大会を、大阪で国際水上競技大会を同時期に開催します。

メダルの表面にはプールから飛び出た掌の上に立つ選手、裏面にはトビウオです。
日名子は、水上競技のメダルにトビウオのモチーフを多く使います。
表のこのデザインは、なかなかシュールで良いですね!
本郷新の「援護の子」のように、指に抱かれるモチーフって、当時でも無いわけではないですが、こうプールからニョッキっと出してるってのは見たことがないですね。

マジンガーかまたはターミネーター2のラストとか、岡本太郎の手の椅子?
釈迦の掌??
こういう遊びを日名子は時々やりますね。
このシュールさを支えているのが、腕を広げた選手のシンメトリーを外して描いたリアルさです。
この日名子の力量ゆえの写実が、笑えるデザインに重みを与えているのだと思います。

2023年6月5日月曜日

大正6年 畑正吉 作「第三回極東選手権競技大会」メダル 





極東選手権競技大会は、米領フィリピン、中華民国、当時の日本を主な参加国として、1934(昭和9)年まで10回開催された競技大会です。
こうした国々が欧米に対抗するための文化政策として、このような競技会を必要とします。
当時のフィリピンは、アメリカの影響下にあり、スポーツ先進国でした。
後進国であった他国は、その技術を得るためという目的もあったのでしょう。

行われた競技は、陸上に競泳、野球、テニス、サッカー、バスケットボール、バレーボール、そして自転車やボクシングと今でも人気あるものです。
こうした戦前からの蓄積が、今の日本及びアジアのスポーツの礎となっているのですね。

1917(大正6)年に開催された第3回大会は、初の日本開催であり、何より初の国際的スポーツ競技大会でした。
会場は東京市芝区芝浦の埋め立て地。
日本スポーツ界の意気込みは凄まじかったでしょうね。
この大会で、日本は総合優勝を果たします。

そんな理由もあり、メダルの制作も第一人者である畑正吉に依頼されたのでしょう。
薄彫りですが、とても美しいメダルです。
ペアになっており、一つは鳳凰を抱え、翼の生えた観音(?)像。
片方は、その観音に見守られた5人の走者の姿です。
メダルに観音像が描かれるのは、西洋のメダルに描かれた女神像に担ったものではないかとご指摘頂いたことがあります。
畑正吉は、そういった伝統と日本の信仰とを重ね、「翼のある観音」を生みだしたのかもしれません。
その結果、仏教でもキリスト教でも、儒教でもない、どこにも属さないアジアの女神像を描くことを可能としました。
これも一つの「近代仏教臭彫刻」と言えるのかもしれません。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2022/02/blog-post.html
ただ、この「鳳凰を抱えた」というイメージがどこからきたのか、私にはわかりません。
何でしょうか?