2018年6月13日水曜日

皇太子殿下海外御巡遊記念章 の絵葉書

皇太子殿下(後の昭和天皇)が1921(大正10)年に行った欧州への御巡遊を記念して造られたメダルの販促絵葉書です。
販売元は尚美堂寳飾店で、明治33年創業より現在まで続く老舗の宝飾店ですね。

まずは、絵葉書に書かれた内容を記述します。

造幣局製 皇太子殿下海外御巡遊記念章
本章意匠は東京美術学校作製 御肖像は宮内省下賜 艦姿は海軍省より交付されたる写真により謹刻さる
第壱種記念牌 直径二寸サック付
 九百五十位銀製 金八円七拾銭
 青銅製 金壱円弐拾銭
  右箱代及送料 三箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
第弐種記念章 直径八分サック付
 九百位金製 金拾九円五拾銭
  右箱代及送料 四箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
 九百五十位銀製 金八拾銭
  右箱代及送料 十箇以内同一 {内地 金弐拾八銭 植民地 金五拾五銭}
  右箱代及送料 三十箇以内同一 {内地 金参拾五銭 植民地 金六拾弐銭}
申込 直接御来店予約御申込の方は毎日自午前八時至午後六時迄(日曜休業)願上候
郵便申込は尚美堂記念章係宛 各品名を明記し其代價に送費を加へ為替又は振替を以て前金にて御申込相成度候
発送 本品は九月一日以降造幣局より御廻付次第御申込順により書留にて御送付可申上候
申込取扱元 大阪市東区淀屋橋南詰 尚美堂寳飾店 振替口座大阪四二六番


この絵葉書ですが、表の消印より大正10年の8月頃に送られたことがわかります。
丁度、発送一ヶ月前になるのでしょう。

また、上記の文章から、造幣局製のメダルが一般の店に卸されて販売されていた事がわかります。
そして、大き目のメダルを「記念牌」、小さいメダルを「記念章」と分けていたこと、内地と共に植民地まで通販網があったこともわかります。

「本章意匠は東京美術学校作製」とありますが、これは誰の作でしょうか?
大正初期より東京美術学校で教えていたのは水谷鉄也や畑正吉です。
その後、大正10年の5月に教授陣が一新し、朝倉文夫や北村西望が起用されます。
朝倉文夫らにしては発売ギリギリ過ぎることから、造幣局の技術顧問であった畑正吉の作なのかもしれません。
たしかに畑正吉らしさのある像ではありますが、もしかしたら西郷像のように学生を含めて合同制作したとも考えられます。
後に天皇となる人物の像ですからね、作家個人の制作物にするのは重すぎたのかもしれませんね。

2018年6月11日月曜日

佐藤忠良作「下中弥三郎」メダル

1968年の平凡社「世界大百科事典販売コンクール」のメダルです。

下中弥三郎をモチーフに描かれたこのメダルの作者は、「CHU」のサインから、佐藤忠良だと思われます。
しかし何故、佐藤忠良が下中弥三郎を描くことになったのでしょう?

佐藤忠良と言えば端正な女性像で有名ですが、おっさんの像もないわけではありません。
王貞治の像やメダルなんかもありますね。
http://www.asahi.com/culture/gallery_e/view_photo_feat.html?culture_topics-pg/TKY201101120322.jpg

とは言え、相手は下中弥三郎です。
彼は、平凡社の創業者であり、教員組合(日本教員組合啓明会)の創始者、また労働運動や農民運動の指導者...そして愛国者にして国家社会主義者だったと言われます。
戦後は世界連邦運動に関わるなど、右と左を思いっきり振りぬく姿は、そこらのネットウヨ・サヨとは違う巨大なスケールを持った人物です。

下中弥三郎の本質は「平凡社」の名前からは遠く、皇国日本による世界の統一と平和を求めた夢想家だったと言えます。
ジョン・レノンのように世界中の人々の幸福を語る彼は、世界中の人々が異なる正しさの中で生きている事が想像できず、自身の正しさを理解しない人々を拒絶しました。
しかし、ヒトラーやポル・ポトのように独裁者にもなれなかった彼は、ユートピアの夢の中でしか生きれなかった人だったのでしょう。

そんな下中弥三郎と佐藤忠良はどこで繋がったのでしょう?
戦後、シベリア帰りの佐藤忠良は、本郷新と共に多分に政治的な彫刻家でした。
一時期は共産党員でもあり、平和活動などを行っていた佐藤忠良は、世界連邦運動に邁進していた下中弥三郎をリスペクトする機会があったのかもしれません。

2018年5月23日水曜日

イワン・メシュトロウィッチの木彫

 大正13年の「意匠美術写真類聚. 第2期 第5輯  メストロウィッチの彫刻集」より
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/976839
メシュトロウィッチの作品は、戦前の構造社ら彫塑作家に大きな影響を与えました。
では彼の木彫はどうだったでしょう?


 この作品集にある木彫は、木材を縦に切り、木の形状そのままに像を彫っています。
像の背景には鑿跡が残り、平面全体を強く印象付けています。
私の知識の範囲だけで言えば、戦前の日本に於いてこのような表現主義的な木彫のレリーフは無かったのではないかと思います。

 戦前の表現主義的な木彫作家と言えば橋本平八ですが、彼の木の姿を生かして制作された作品にも、このようなレリーフは無かったのでは。
ただ、橋本平八は鉈彫を意図して制作しており、鑿跡を残した作品はあります。

 橋本平八は、師匠の佐藤朝山や弟の北園克衛の影響で海外の作品にも明るく、もしかしたら彼の鉈彫や木の姿を生かす思想は、円空や東北の仏像だけでなく、イワン・メシュトロウィッチの木彫の影響があったのかもしれませんね。



2018年5月12日土曜日

Intermission 藤田嗣治 本の仕事

現在、目黒区美術館で『没後50年 藤田嗣治 本のしごと』展が6月10日まで行われています。
さすがに希少本とはいきませんが、私のコレクションより、藤田が挿絵を描いた本の紹介です。
まずは、1929年の「Michel GEORGES-MICHEL著 Les Montparnos. Roman illustré par les Montparnos.」
モンパルナスに集まった画家たちの絵が掲載された本書ですが、表紙は藤田の自画像です。

パリの寵児となった藤田の、この正面を見据える自画像から、それを自覚的に演出する彼の気概を感じますね...

もう一冊は「YOUKI DESNOS LES CONFIDENCE DE YOUKI」。
こちらは戦後1957年の本、「お雪」ことリュシー・バドゥの回想録です。
こちらも表紙は元夫の藤田のもの。
中にも藤田の自画像があります。

この挿絵にあるように日本語で「勉強」と「働け」を掲げ、正座して絵を描き、そしてモンパルナスのカフェで女性に抱かれる...この矛盾したあり方を体現しているのが明治生まれの男、藤田嗣治であり、彼の魅力なんですよね。

2018年5月5日土曜日

Intermission 戦時下の絵画

防空頭巾を被った男子の図
日本画の様ですが、時代、作家ともに不明です。
もしかしたら戦後のものかもしれません。

作者の銘が入っていないので写しなのかも。それとも習作かな?
習作だとしたら、同じような構図の作品があるかもと色々探してみたのですが、見当たらず...

ただ、こうやって子供が防空頭巾を被っていることがモチーフになるのは、終戦間近だったのではないかと思います。
鞄に挟まれた紅白の旗が手旗信号の物だとしたら、それを授業で習い始めるのは、これもまた終戦間際のようです。
そこから、昭和19年頃を描いた、またはその当時に描かれた作品ではないかと思います。

ただ、その当時の子供がこんなにふくよかで良いのかな?
けれど、だからこそ安心してこの絵を観れるのですけどね。

2018年4月29日日曜日

自由学園美術展覧会 絵葉書



自由学園は、大正10年にクリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によってキリスト教精神(プロテスタント)に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立。
現在も、幼稚園から大学まである一貫校として運営されています。「自由学園美術工芸展」として美術の展覧会も行われているようです。

この絵葉書は、戦前に自由学園が行っていた「自由学園美術展覧会」の彫塑作品や絵画です。

実は、自由学園の発足当初からこの学校の美術教育に関わってきたのが、自由画教育の提唱者であった山本鼎です。
そして、彫刻については、木彫を吉田白嶺が、彫塑を山本鼎に推挙された石井鶴三が、大正15年から昭和15年まで教えてきます。
山本鼎との関係も深く、児童自由画協会の会員でもあった石井鶴三は、山本鼎の教育論の彫刻での実践者として適任だったのでしょう。

そう言われると、これらの作品になんとなく石井鶴三臭がするかなぁ~と。

また、石井の発案で、こういった絵葉書が発売されるようになったそうです。彼のおかげで、こうして当時の作品を見ることができるわけですね。感謝。

2018年4月22日日曜日

BankART school「 いかに戦争は描かれたか」を読む。

この本は2015年にBankARTスクールで行われた「戦争と美術」と題した講義をまとめたもので、講師は大谷省吾林洋子河田明久木下直之

戦争画についての研究は、戦争画が話題となった1970年代と比べ本当に隔世の感があるなぁと感じました。
戦争体験者が生きていた頃より、今の方が情報が増えているというのは、まぁ、何と言いますか、人間って難しいですね。

藤田嗣治について、多くの情報が出てくるようにありましたが、例えば戦時下の朝倉文夫の戦争協力について語られたものはほとんど見たことがないですね。
高村光太郎については、吉本隆明の本がありますが、アレは詩ですしね。
この本でも忠霊塔などのモニュメントについての講義はありましたが、彫刻についてはほぼノータッチで悲しい。

河田明久さんが、支那事変(日中戦争)時と大東亜戦争(太平洋戦争)時の作品の違いを語られていましたが、彫刻はどうだろうと思い、支那事変時の聖戦美術展と大東亜戦争時の大東亜戦争美術展の彫刻を見比べてみました。

以下が昭和14年7/6~7/23に行われた聖戦美術第一回展の出品作家と作品。

相曾秀之助 傷つける伝書鳩
赤堀信平(招待) 生鮮下の観兵式を拝するして
池田鵬旭 默壽
一色五郎(会員) 従軍記者
伊藤國男 重要任務
伊藤國男 敵陣蹂躪
江川治 征空基地
遠藤松吉 蹄鐵工
大内青圃(招待) 初陣
大庭一晃 水と兵士
岡本金一郎(招待) 腰留め撃ち
小川孝義【大系】 少年快速部隊長
加藤正巳 芽生え行く新東亜
木林内次(出征) 戦盲
木林内次(出征) 傷兵M君像
古賀忠雄 狙撃
古賀忠雄 爆音のあと
坂口秋之助 銃後の婦人
坂口義雄(出兵) 陸軍看護婦
酒見恒(招待) 行軍-群像の一部-
鹿内芳洲 相場の門出
鈴木達 伝令犬
中川爲延 尚武
永原廣 荒鷲
中村直人(会員) 工兵
羽下修三(招待) 蒙原睥睨
橋本朝秀(招待) 伝書鳩
長谷川榮作(会員) 病舎ノ一隅
羽田千年 平和への労苦
濱田三郎(招待) 出征譜
春永孝一 稜線
日名子実三(会員) 慰問袋
宮島久七 皇軍來
宮元光康 濁流
村岡久作(出征) 手榴弾
梁川剛一(招待) 瑞昌の人柱-細井軍曹-
吉田三郎(会員) 軍犬兵
吉田三郎(会員) 治安恢復
吉田三郎(会員) 偵察

聖戦美術展での絵画の特徴は、支那事変の大儀の無さに故に、そのイメージが固定されず、例えば絵画では、支那兵(中国兵)が描かれないとか、背を向けた日本兵が俯瞰で立っている大陸の風景画だとかが多い。
では彫刻はどうだと言えば、兵隊が立っていると言う様な作品にそれほどの違いは見られないのだだけど、ただ聖戦美術時にはモニュメントが無いと言えます。
そして、大東亜戦争美術では、ただ立っている兵隊でもモニュメンタルな象徴としてあることに比べ、聖戦美術では、よりモチーフの個人性が際立っているように思えます。
だから大東亜戦争美術では個人を描く胸像がほとんどありません。
言うなれば聖戦美術はより銅像的であり、大東亜戦争美術はよりモニュメント的だと言う事ですね。

その中でも、中村直人だけは、日本人を美化して描けていて、それによって彼が戦争彫刻のトップランナーに成り得たのだとわかります。

この日本人をある意味記号化して描くというスタイルは、戦後の佐藤忠良らに引き継がれるわけで、この時代はそれを用意したと言えますね。