2020年2月2日日曜日

小山秀民 刻 東洋大学学友会「学祖井上円了博士」メダル





現東洋大学を設立した「井上円了」は、哲学者であり、明治期の仏教復興の運動化であり、かつ妖怪の研究者として知られます。
現在は、妖怪博士として語られる機会が多いですね。
このメダルは、東洋大学の学友会が昭和8年度の卒業生に贈ったものの様です。

そして、原型を制作したのは「小山秀民」。
彼はARTとしての彫刻家ではなく、市井の彫刻師です。
小山秀民は、日本帝国徽章商会創業時に鈴木梅吉の依頼を受け、民間で始めて原型を用いたメダルを作成した職人で、メダル原型彫刻民業の祖と言われています。

以前、「小山秀民」からの彫刻師の系譜を紹介しました。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2018/08/blog-post.html

日本帝国徽章商会と鈴木梅吉
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2019/07/blog-post_6.html

銘の横に「昭和癸酉年春」とあり、癸酉が昭和8年にあたることから、この肖像はこの年に製作されたものだと言えるでしょう。
山田盛三郎(著)「徽章と徽章業の歴史」には『明治10年数え年11才で彫金家池戸秀民に弟子入りした。』とのことから明治元年生まれと考えられ、昭和8(1933)年では65歳頃。
つまりこのメダルは小山秀民の晩年の作品だと言えます。

そこで気になるのは、このメダルに「小山秀民」の名が彫ってあることです。
私が知っている範囲では、この市井の彫刻師の名が彫ってあるメダルはこれのみです。
晩年の彼は、自分の作品を銘と共に残したかったのかもしれません。

小山秀民がメダル原型彫刻民業の祖であれば、井上円了は東洋大学の祖であり、近代仏教の祖です。
妖怪博士としての彼より、私はこちらがより現代に影響を与えているのではないかと思っています。影響というより、その流れの源流に立っていた人であったと言ったほうが良いかもしれませんが。

廃仏毀釈でダメージを受けた仏教を、仏教の外、在家の立場から、西洋の言葉を持ってハイブリットとして蘇らせることが井上円了の目指したものでした。
葬式仏教でない、社会に役立つ仏教...その流れは後に仏教の戦争協力、八紘一宇へと繋がります。
そしてハイブリットの信仰は、幾つもの宗教をまぜこぜにしたような新興宗教を生み出し、あのオウム真理教をも生んだ土壌になっているのではないか...
最近、そんなことを考えます。

妖怪ブームと言われて久しい昨今、井上円了について考えることは、私たちの現在の信仰、もっと簡単に言えば私達が何を信じているのか...を考えることと同義ではないでしょうか?

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