2019年7月20日土曜日

畑正吉によるエンボス加工の原型

以前、畑正吉原型によるエンボス作品を紹介しました。
http://prewar-sculptors.blogspot.com/2019/05/blog-post_26.html

最近、畑正吉が残した作品を整理していましたら、その中からエンボス加工の為に制作されたと見られる原型作品が見つかりました。
その作品には、畑正吉による裏書がなされています。

尚山堂 水野○○氏依頼 明治四十三、四年頃 紙浮出ノ原型ニシテ西洋写真ニヨル 正吉作』とあります。

この水野○○氏は以前紹介しましたように「尚山堂」の水野倶吉のことでしょう。
明治43年は、畑正吉が農商務省海外練習生として滞欧留学から帰った直後になりますね。
留学で畑正吉が持ち帰った写真を模刻したものかは不明です。

明治38年頃に行われた日露戦争では、それを記念する絵葉書が売れに売れ、絵葉書ブームが起きました。
このエンボスの原型も、水野倶吉の手によって絵葉書等で用いられたのかも。

学生時代の畑正吉は、東京美術学校の学費が払えないほど貧窮していて、尚山堂の依頼のお陰で支払うことができたそうです。
こういった依頼はどれくらいあったのでしょうね?
学生時代の朝倉文夫は、海外向け土産品の原型制作が忙しすぎて歩いて学校に行く時間がなく、人力車を雇って通ったとか。
折からの絵葉書ブームで、畑正吉への依頼もかなりあったのかもしれません。

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