2019年6月23日日曜日

Intermission 荻野真「孔雀王」と岡倉天心の美術

漫画家荻野真さんがお亡くなりになりました。
http://www4.airnet.ne.jp/kujaku/
彼の「孔雀王」は、中学生の頃の私に強い影響を与えた作品の一つです。
同郷の作家として、強いシンパシーを受けていました。

「孔雀王」の特徴は、古今東西のオカルトのごった煮です。
あのオウム真理教の事件で、宗教のごった煮と言われたその教義に既視感があったのは、私に「孔雀王」などのオカルト漫画にはまっていた子供の頃があったからでしょう。
オウムの信徒もまた同じ素地があったのではと思います。

そんな「宗教のごった煮」は、当時のオカルト好きの妄想だったのでしょうか?
いえ、戦前の歴史を調べていくと、そうではなかったことがわかります。
あの大東亜戦争で日本の宗教人や知識人は、アジアにおける宗教の統一を望んでいました。「八紘一宇」はそういった意味を含んでいたんですね。

「八紘一宇」を生み出した田中智学は、天皇信仰と日蓮宗とを結びつけ、そしてその信仰を世界唯一の信仰にすべきだと考えます。

日蓮主義は即ち日本主義なり、日蓮上人は日本の霊的国体を教理的に解決して、末法万年宇内人類の最終帰依所を与えんがために出現せり。本化の大教はすなわち日本国教にして、日本国教はすなわち世界教なり

田中智学の思想では、多くの宗教があるがその根本は一つの「教え」であり、その根本を示すのが『日本国教』であると言います。

また、アジア主義者の大川周明は、19歳頃の論文で「宇宙の大霊と合致すること」が人間の目的であると言います。そして彼は既存宗教を統一し社会主義革命を起こすことを目指します。

そんな大川がサポートした人物がインド独立運動家のラージャ・マーヘンドラ・プラターブです。
彼は、既存宗教を超えた「愛の宗教」を示し、その信仰によって世界を統一、国家をも超えて「世界連邦」の確立を説きました。

このような宗教を一つし、新たな信仰世界を確立しようとする運動は同時代的に起きていたのですね。

例えば、インドの宗教家ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴで行われた万国宗教会議で「多様性の中の単一」「一切のものの中心には、同一性が君臨」とすべての宗教が持つ真理の単一性、同一性を説きました。

そのヴィヴェーカーナンダと意を合わせたのが岡倉天心でした。
彼の『不二一元』論、全てのものは根元にて一元化されるという考えは、ヴィベーカーナンダの思想の影響を受けています。そして天心はその意味で「アジアは一つ」と説いたわけです。

「八紘一宇」「アジアは一つ」は戦時中の日本を正当化する言葉となりました。
そしてその思想は、戦後オウム真理教の教義に受け継がれていったわけです。
オウムの事件は、戦時下日本宗教の徒花だったのですね。
否定しづらいわけです。
(ちなみにインドの『不二一元』論は、ニューエイジにも影響を与え、この流れの果てにオウムもあります。)

岡倉天心は日本美術もまた『不二一元』の表れだと考えます。
その薫陶を受けた彫刻家たちは、自らの仏臭い彫刻観を超克するために天心の思想を求めたのだと思います。

つまり、近代の日本彫刻と「孔雀王」やオウム真理教は、同じ潮流にあったと言えます。
だからこそ私は、子供の頃のオカルトに触れた時と同じ奇妙な魅力を近代彫刻に感じているのだと思います。

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