2019年6月9日日曜日

百貨店のパノラマ「紀元二千六百年奉祝展覧会」記念絵葉書

現在、高島屋史料館TOKYO 4階展示室で行われています「パノラマとしての百貨店」に便乗して、百貨店のパノラマを紹介します。
「パノラマとしての百貨店」は百貨店のパノラマ的な展開を紹介する展覧会のようですが、ここでは字のとおり、百貨店で展示されたパノラマです。

まずは、日本のパノラマについての薀蓄。
明治23年、上野に「パノラマ館」という見世物小屋が建てられました。
円形の建物に360度の絵や模型を配し、日清戦争などをテーマにし、観客を集めました。
「パノラマ館」は明治の終わり頃に衰退しますが、変わってその一部を切り取ったジオラマが制作されます。
これらの制作に関わったのが、当時の画家や彫刻家でした。

今回紹介する絵葉書は、大阪松坂屋の「紀元二千六百年奉祝展覧会」
紀元二千六百年、1940(昭和15)年ですが、この年に全国各地で記念行事が行われました。
当時のハイカラ文化の中心を担っていた百貨店も同様に記念展覧会を行います。
そして、大阪松坂屋にて行われたのが下記のようなパノラマ(ジオラマ)の展示でした。


 橿原奠都(紀元元年頃)とあるように、この造形物は神武天皇が即位したその場を描いたもののようです。
精巧に作られた人物像に当時のものと考えられていた装いをさせています。
後ろを向いて座っているのが神武天皇でしょうか?
もしかしたら竹内久一の神武天皇像の様に、明治天皇像の姿に似せた姿であったかもしれません。
この像の製作者は誰だったのでしょう?
彫刻家か、または生き人形の系譜の作家でしょうか?
 こちらは奈良時代の糸つむぎをする女性を描いたパノラマ。

そして、こちらは「近古の商売」ジオラマです。


こういった展示は、帝国京都博物館の監修が入っていたのではと推測します。
現在でも博物館では、こういったパノラマ(ジオラマ)の展示はありますね。
けれど、全てをリアルに見る事は決して良いことと言うわけではないんです。

パノラマ(ジオラマ)というのは、時間を固定してしまうという彫刻の持つ「虚構」を明示してしまうように思います。
そこばかりが気にかかるのです。
その虚構にさらに虚構を重ねる...それが杉本博司の「ジオラマ」シリーズでしょう。
この絵葉書を眺めていると、彼の作品の様に見えてきます。

彼の「ジオラマ」シリーズは近代の彫刻の問題でもあるだと思います。
彫刻は時間を止めるという「虚構」の上に、ARTであるという「虚構」を重ねることでなりたっている...
いや、それ以上の問題を含んでいるのかも。
それを例えるなら、広島にある「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と書かれた原爆死者慰霊碑を、時間を止めた「虚構」であると叫びつつ、その虚構性に乗っかるような...それが「彫刻」であり「近代」であり、この「世界」なのだと表明されたような...

私たちはこの絵葉書にある「紀元二千六百年」の姿を、そんな馬鹿なと笑い飛ばすことができます。
これらが模型であるように、リアルな姿ではない。当時のそれをリアルだと考えたかった人々の「虚構」だと。
では、私たちは「虚構」の無い世界に生きていると言えるのでしょうか?
その虚構性に更に『虚構」を重ねて生きているだけでは?
『歴史」はその『虚構」の断面でしかないのでは?
そんなことを考えてしまいました。

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