2016年7月21日木曜日

女優「川上貞奴」縁の貞照寺に残る胸像

川上貞奴は、明治時代の女優です。
その貞奴が私財で建立した寺院、「貞照寺(てい しょうじ)」が岐阜県各務原市にあります。
今日はこちらに行ってみました。

寺の周りには、貞奴の生涯を描いた浮彫がはめ込まれています。
彫刻師は、金子光清。




その中でも良かったのが、志州島にて怪獣「海驢(あしか)」に襲われるの図。
確かに海獣(かいじゅう)だけどね。








 このお不動さんの両側に立つが、貞奴と福澤桃介でしょう。


彫刻師「金子光清」は何代目なのかまではわかりませんでしたが、本堂は1933(昭和8)年に建てられたとのことですので、その時期の人だと思われます。
東京の柴又帝釈天にも、同じ「金子光清」の作品があります。
「金子光清」は東京の人なので、わざわざ頼んだのでしょうね。

また、この池の前に立つ観音像は、地元の作家浅野祥雲の作と言われているものです。

貞奴の霊廟前にも立派な観音様が立たれていたのですが、そちらはなんだか畏れ多くて写真が撮れませんでした。
百済観音に似たお姿の観音様で、たぶん戦前の物だと思われます。

普通、墓は日当たりを良くするためだとか言う理由で、南を向いています。
しかし、この貞奴の霊廟は鬼門である北東を向いているのです。
それは、貞奴と福澤桃介が尽力を注いで行った事業である大井ダムを臨んでいるからなのだそうです。
今でも、気にかけているのですね。
そういう理由の為なのか、なんだか気後れしてしまいました。

貞奴は、1900(明治33)年、パリで行われていた万国博覧会を訪れ、それを観たロダンが彼女の彫刻を作りたいと申し出たが、断わったそうです。
それで、ロダンは1906(明治39)年に花子をモデルに作品を作ります。
ですが、貞奴の像は、他のフランスの彫刻家に制作されます。
それが、この貞照寺に残る「音二郎像」と「貞奴像」です。
今回の目的は、この像を見ることでした。(写真は不許可でした。残念)

1900(明治33)年に制作されたこの像の作者は、レオポルド・ベルンスタン
ニコライ2世、エミール・ゾラなどヨーロッパの各界名士の肖像彫刻を多く制作したベルンスタンは、パリ・グレヴァン美術館の専属彫刻家として蝋人形の原型づくりに携わり、この貞奴の像も蝋人形の原型からブロンズにしたものだそうです。
この作品のモデルのために、貞奴は時間が取れなかったのか、またはモデルに懲りたのかしたので、ロダンの依頼を断ったのでしょう。

その蝋人形が、現存しているのかわかりません。
あれば見てみたいですね。
日本の美術館で展示したら面白いと思うのですけどね。
安本亀八の作品と並べてみたりとか。

ベルンスタンを調べてみたら、こんな作品がありました。
これはまさに貞奴!?

0 件のコメント:

コメントを投稿