2016年7月15日金曜日

神像について考察 その2

古事記や日本書紀などで書かれた神の姿は、江戸後期から発展した考古学によって、埴輪や勾玉などの古墳時代の情報を取り入れ、現在あるようなイメージを作り上げた。

ここで思うのは、古墳時代以前、縄文時代の土器なども、明治ごろから体系立てて研究がなされたわけで、そういった情報は、神の姿に組み入れられなかったのかということ。

ギガゾンビとかドラゾンビみたいな。


日本をお造りになった神々は、縄文以前からこの地に立たれていたと思うのですが、それが古墳時代の装いをしているという矛盾には、つっこみが無かったのでしょうか。

社会学者の故小室直樹さんが書かれていたことです。
米兵が捕らえた日本兵に、天皇は神の子孫ではないと諭そうと、人は猿から進化したのだと教えるのだが、日本兵は進化論くらい知っていると答えた…では、天皇は猿の子孫なのか、その矛盾を日本人は考えずにきた…というエピソード。

科学という信仰も、自らの信仰体系(日本教)に取り入れてしまう。
それが矛盾しようが、お構いなし。
神道で誕生を祝い、キリスト教で愛を誓い、仏教で葬儀を行う。
それが日本人の宗教観なのでしょう。

または、こうも考えられます。
西洋の神、エホバは人間(ユダヤ人)から崇められることで存在する神です。
その為に、人間にゴリゴリと介入してきます。
人間がその存在を信じることでエホバは神であるように、この宇宙が観察されるからこそ存在するという人間原理の思想のように、古墳時代の人々が、彼らの神の存在を強くイメージしたからこそ、日本の神に姿を与えたのかもしれません。
それが伝統として現在の私たちの神のイメージがあり、神はそのイメージに合わせて姿を変えていくのだと。

私としては、神社にお参りに行っても具体的な神の姿を想像することはありません。
それは伊勢に行っても同じです。
では、現在、神はどのようなお姿をしているのでしょうね?




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