2013年5月18日土曜日

女性の彫刻家

戦前日本の彫刻界と言えば、東京中心であり、そして男性中心の世界でした。
西欧においては、女性彫刻家は少なからずおり、あのロダンの弟子、カミーユ・クローデルが有名です。
カミーユ・クローデルと言えば、Zガンダムのカミーユ・ビダンのモデルであり、名前とその性格を模されています。 彼女は、師であるロダンとの関係で苦しみ「大きな星が点いたり消えたりしている。ははは」という状態となります。

映画 「カミーユ・クローデル」はそんな彼女の美しく、そして悲しい物語を描き出した傑作です。

ちなみに、彼女を精神的に経済的に援助していた弟のポール・クローデルは、1921(大正10)年から1927(昭和2)年、フランス駐日大使として、日本に来ています。
その縁で、彼女の作品が戦前の日本に渡ったかどうかは、未確認。

では、戦前の日本に目を向けてみると、先に書いたように、男性中心の世界ではありましたが、女性の彫刻家が皆無だったわけではありません。
ただし、大正デモクラシーなどの中で活躍した女性たち、文筆家や活動家と比べれば、少ないと感じます。

例えば、彫刻家木内克の妻となった旧姓作田照子は、朝倉文夫の下で彫刻を学び、第十二回文展に「不具者」を出品しています。


また、上記の絵葉書の作品は、十三回帝展出品作の「座セル少女」で、久原涛子の作。
久原涛子は、1929(昭和4)年に23才で北村西望に師事。
その後、官展に出品を続け、戦後は北村西望の「長崎平和祈念像」に助手の一人として参加するほどとなります。
彼女の裸婦像は、やはり男性のそれとはちょっと異なりますね。視線が違う。 ポーズも自然で、どこか生々しい感じを受けますね。それだけに、裸であることに違和感さえ感じます。

彼女ら女性の彫刻家たちは、日本近代彫刻史の中であまり表に出てきません。
彫刻にたいする評価や論説の数そのものが、絵画以下であり、なおかつ、彼女らを評価できるフェミニズム的言説においても当時の女性たちから、そして現在もなされていないからだろうと思います。
現在のルイーズ・ブルジョワやキキ・スミスのように、こういった日本近代彫刻創成期の女性彫刻家にもスポットがあたるようになると良いですね。 

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