2013年2月1日金曜日

埴輪の美に就いて


岡本太郎が縄文の美を語ってから昨今、縄文土器の美術的な価値について誰も否定する者はないでしょう。昨年行われたミホミュージアムでの「土偶・コスモス」展でも素晴らしい縄文土器を観賞することができました。大英博物館で行われた「火炎土器展」も好評だったようです。
 しかし、それに比べて埴輪というのは、あまり美術館で観賞する機会はありません。それを美術として見ることは少ないと言えるでしょう。
しかし、戦前の日本では、埴輪の美を語り、その美を啓蒙していた時代がありました。
なぜ、現代ではその美を語ることがなくなってしまったのか、美が永遠のものでなく時代によって左右されるものだとしても、その理由は何なのか。

高村光太郎は埴輪についてこう語る。
『これはわれわれの持つ文化に直接つながる美の源泉の一つ であって、同じ出土品でも所謂縄文式の土偶や土面のような、異種を感じさせるものではない。
縄文式のものの持つ形式的に繁縟な、暗い、陰鬱な表現とはまるで違って、われわれの祖先が作った埴輪の人物はすべて明るく、簡素質樸であり、直接自然から汲み取った美への満足があり、いかにも清らかである。
そこには野蛮蒙昧な民族によく見かける怪奇異様への崇拝がない。所謂グロテスクの不健康な惑溺がない。
天真らんまんな、大づかみの美が、日常性の健康さを以て表現されている。此の清らかさは上代のの 行事と相通ずる日本美の源泉の一つのあらわれであって、これがわれわれ民族の審美と倫理との上に他民族に見られない強力な枢軸を成して、綿々として古今の 歴史と風俗とを貫いて生きている。
此の明るく清らかな美の感覚はやがて人類一般にもあまねく感得せられねばならないものであり、日本が未来に於て世界に与 え世界に加え得る美の大源泉の一特質である。
...美の健康性がここに 在る。』

埴輪の美の特徴を「明るく」「直接自然から汲み取った美」「天真らんまんな」「日常性の健康さ」だと言い、「暗い」「陰鬱な」「怪奇異様」「グロテスク」ではないと言っている。
そんな「暗い」「グロテスク」であるために同じように否定された美意識を知っている。ヒトラー政権下のドイツにおいて否定されたカンディンスキーやクレー、エルンスト・バルラハらの作品、退廃美術にあてられた言説だ。そして、「明るく」「日常性の健康さ」を持つ美がナチスドイツの美意識だとされた。
つまり、埴輪の美とは戦時下の美であった。高村光太郎は「此の明るく清らかな美の感覚はやがて人類一般にもあまねく感得せられねばならないものであり、日本が未来に於て世界に与 え世界に加え得る美の大源泉の一特質である。」と埴輪の美意識、つまり日本の美意識の大東亜共栄圏、またそれ以上の広がりを語っているのだ。

日名子実三が明治神宮体育大会メダルでモチーフに用いた「野見宿禰」と言う相撲の神は、埴輪の創始者とも言われ、埴輪も手にした姿を用いたメダルをも日名子は制作しています。


同じく日名子の「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」の四方に配置された信楽焼の像も、埴輪のイメージだと言えるでしょう。


そして、直上の画像は、昭和12年の官展「戦時特別美術展」に出品された後藤清一の作品です。

このように、 この時代に於いてこそ、埴輪の美は強く印象付けられたのだった。
兵士や軍馬の形状をし、権力者に殉教する埴輪は、戦争の時代に肯定されるものだったのでしょう。

よって、戦後はそんな時代的な美だったからこそ、否定されたという面があるのではないだろうか。
岡本太郎や滝口修造らによる共著「現代人の眼 : 伝統美術の批判」では、そういった 「明るく」「直接自然から汲み取った美」「天真らんまんな」「日常性の健康さ」ゆえに埴輪の持つ薄暗さによって埴輪の美を否定します。

しかし、こういった時代的なものだけだと本当に言えるだろうか。
ロダンは埃及の彫刻を自身の源流とし、ロダンに影響を受けた荻原守衛は日本の仏像、中でも飛鳥時代の仏像に強く感化されました。高村光太郎はロダンや萩原にとっての埃及彫刻や飛鳥仏のようにプリミティブな美として埴輪を見ていたのではないだろうか。
そうして見れば、埴輪にも現代に通じる美があるのではないか、まだその美を語り尽くせてはいないのではないか、そんなことを思います。

上でも紹介した後藤清一の「第一回軍事援護美術展覧会」 出品作「櫻花」です。後藤は近代的な彫刻方法とは異なりモデルを用いず、仏像のように作品を制作したと言う。
この表現主義的な像もまたそういった作品であり、このデフォルメされた少女を見ると、ちょっと極端かもしれませんが、現代の美少女フィギュアにも通じるものがあるのではないかと思うのです。 

日本の美少女フィギュアが「明るく」「天真らんまんな」「日常性の健康さ」でありながらも薄暗さを持つように、そこに埴輪の伝統は息づいていないだろうか。

4 件のコメント:

  1. 後藤清一さんのことを調べていて、ここにたどり着きました。書き込み失礼いたします。『玉』は昭和15年・紀元2600年奉祝展」に出品されたものと思います。徳寿宮の買い上げ作品では昭和16年の『薫染』は韓国中央博物館の日本室に展示されています。展示交換が有るから今もあるかは分りません。20111年12月は展示されていました。

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  2. Takahashi様
    お返事が遅くなり、申し訳ありません。

    『薫染』の件は、韓国の国立中央博物館所蔵「日本近代美術」というカタログを併読していまして、知っていました。
    この本には、私もちょっとだけお手伝いをさせて頂ています。

    Takahashi様の著作にも言及されていますね。
    同じく韓国に渡った「母と子」が気になります。
    今はどこにあるのでしょうか?

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    1. 『母と子』に関しては分りません。「桜花」は見たことが有りません、石膏原型のままの出品も有ったようです。この作は石膏の様にも見受けます。

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  3. takahashi様
    こんにちは。
    「第一回軍事援護美術展覧会」では、他に日名子や本郷新らが出品していますが、どちらも石膏像のようで、現存しているかどうか不明です。
    一つ、吉田三郎のブロンズ作品「義足の開拓」が、名前と形状を変えて美術館に収蔵されています。
    これは再鋳造したものかもしれません。
    後藤清一の作品もどこかに残っていると良いのですが。

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