2013年2月9日土曜日

Intermission -Chiune Sugihara-

杉原千畝銅像と記念館

杉原千畝記念館に行ってきました。

杉原は、1900年(明治33年)、岐阜県加茂郡八百津町生れ。
大戦中、リトアニアのカウナス領事官代理として、ナチス迫害により逃れてきたユダヤ系難民にたいし、名目上の行き先への通過ビザを大量に発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救った。一部の難民は、シベリア鉄道を利用して来日、そこからアメリカなどへと渡っている。



同じ加茂郡出身でありながら行ったことのなかった記念館に、今回初めて訪れてみました。
施設は、こじんまりとして可愛らしく、杉原の偉大な仕事をこなしながらも持っているその謙虚さを感じさせます。


  
人道の丘公園のシンボルモニュメント

ただ、直筆の手紙やビザなどのほとんどがレプリカだったのは寂しい。できればアウラあるものが見たかった。
また、彼にたいする掘り下げ、現在の研究状況なども知りたいと思いました。
当時の日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結びますが、日本国内世論も軍部も政治も親ナチス一辺倒というわけでなく、杉原以外の日本人の働きや、神戸にあったユダヤ人協会(手塚治虫の「アドルフに告ぐ」に描かれてますね。)のような組織もからこそ、このような出来事がなされたってことも広く知らしめていただきたいですね。
(余談ですが、「アドルフに告ぐ」で神戸に逃れてきたエリザは、もしかしたら杉原のビザを受け取ったのかも?彼ら難民を撮影した「丹平写真倶楽部」に手塚の父がおり、手塚治虫もまた目にしていたようです。)


八百津の風景

海外からのお客も多いようで、僕が訪れたときもいらしゃていました。
日本のこんな田舎にユダヤ系の人たちに関連した施設があるのは不思議です。
現在のパレスチナを肯定する物言いはしょうがないかなと思いますが、逆にあまり宗教色を感じさせないのもまた不思議だと思いました。この変なモニュメントも含めて。
 

左:ナインチンゲール銅像 右:シュバイツァー銅像

館の近くに建てられた二つの銅像。
作者は岐阜県土岐市出身で、名古屋芸術大学美術学部部長の神戸峰男氏。
腰から上で、手が付いた銅像は珍しいかも。物語性を出したってことでしょうか。
せっかくなので、ユダヤ系の偉人にすれば良いのに。

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