2016年11月6日日曜日

日本の木彫

前回書いた「プロダクトとアート」ですが、今回はその中でも木彫について語りたいと思います。

「彫刻」によって信教と切り離された木彫は、モデルでは「平櫛田中」が表すように、プロダクトでもアートでも無く、またはプロダクトでもあり、アートでもあり、さらに新たな信仰でもあるような「モノ」となります。

その中には、橋本平八らが示すような、仏教以前の自然崇拝と結びつけや、抽象彫刻などのただ単に「彫刻」の素材として扱う場合、または戦後となって木が「モノ」であることを表す「もの派」もその流れの一部だと言えるでしょう。

日本の木彫は、系譜がひねくりまわってて、一言では表せ辛いですね。

そういった日本の木彫の一つの姿として、次の作品を紹介します。
畑正吉による能をモチーフにした木彫の浮彫です。


畑正吉の出自は木彫です。
畑は彫塑ではなく、仏像のような「プロダクトとしての彫刻」を学びます。
農商務省海外実業練習生として、パリに行った時も木彫の勉強の為です。

上記の作品は、能に惹かれていた晩年の物かと思われます。
面白いのは、メダルなどの彫塑技法による浮彫で木彫がなされている点です。
以前、私のブログで寺の浮彫の木彫を紹介しましたが、それとは技法が違います。
http://prewar-sculptors.blogspot.jp/2016/07/blog-post_21.html
また、能という伝統芸能には、能面という木彫を用いますが、その技法とも異なります。
つまり、西洋的「プロダクトとしての彫刻」の技法で、東洋的信仰対象である「能」を表した作品であるわけです。

それに、畑正吉という作家が、わざわざ木彫を選んだことから、これは作家の意思「アートとしての木彫」でもあると思います。
こんがらがっているな~

今回も図でまとめてみました。


「伝統的能面技法」の近くありながら離れ、、「アートとしての木彫」「信仰対象」「プロダクトとしての彫刻」の中心にあるのが、畑正吉の木彫です。

始めてこの作品を見たとき違和感があったのですが、それは日本木彫の抱える違和感だったのでしょう。
ちなみに、現代作家で代表的な木彫家、舟越桂の場合、「信仰対象」が西洋的なこと、伝統技法(仏像等の)から遠く離れていることから、その違和感を感じ無いのではないかと思います。
ただ戸谷成雄の場合は、違和感ありますね。
...江口週にはなく、植木茂にはある...感覚的なものかもしれませんけどね。

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