2014年1月4日土曜日

寺畑助之丞 作 母子像

この高さ28cm程のブロンズ像は、彫刻家「寺畑助之丞」の作品です。
寺畑助之丞は母子像を多く作成し、松戸市にその作品の幾つかが収められています。

彼の作家歴で目に付くのは、まず「1920(大正9)年に朝鮮総督府技師としてソウルに赴任し、総督府新庁舎一般建築彫刻を担任」したことでしょう。
総督府新庁舎は、鉄筋5階建、延床面積33,000平方メートル、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが基本設計をおこない、建築家野村一郎、國枝博らによって完成させた壮麗な建築だったと言います。
しかし、1995年には、韓国にとって「屈辱的な歴史」の象徴となったこの建物は撤去され、寺畑助之丞の仕事も見ることができなくなりました。
不の歴史も歴史だと思いますが、残念なことです。

このように建築と彫刻との関係を志向した寺畑でしたので、構造社への参加は必然でした。
また、日名子とは戦時下の彫刻のあり方を模索した彫刻家団体「三部会」でも一緒になります。

戦時中には、興亜造型文化連盟常務理事に就任、海軍省嘱託となります。
陸軍との関係の深かった日名子との仕事分けと言ったところでしょうか。
「興亜造型文化連盟」は日華(台湾)両国における工芸、建築その他の造型運動の連絡提携を図り以て中華民国(台湾)の造形文化を指導し、延て東亜共栄圏生活文化の建設に資せんと」することを目的としました。

このハイカラな西洋的イメージを持つ母子像と、日本の生活スタイル(建築などのデザイン)とか結びついたのが戦時下の日本であったのだなと思います。
そして当時考えられた、あるべき「東亜」の姿だったのだろうと。

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