2022年1月3日月曜日

平櫛田中作「良寛来」ネガ

 東京芸大所蔵の平櫛田中作「良寛来」の写真ネガです。
http://jmapps.ne.jp/geidai/det.html?data_id=7156
いつ撮られた写真なのかわかりませんが、貸出前の記録でしょうか?


平櫛田中の「良寛来」は昭和5年の第2回聖徳太子奉賛美術展出品作です。
良寛がどこかへ訪れる姿を描いたもののようですね。
平櫛田中はこの作品以外にもいくつか良寛の姿を描いています。
https://twitter.com/denchu_bot/status/893970163057401856

平櫛田中だけでなく、多くの彫刻家が良寛の姿を彫っています。
橋本平八 https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/242490
中野五一 https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/210258

戦前の彫刻家の、良寛を描こうとするモチベーションは何だろう?
良寛への想いの在り方が現在とは異なるのではないか、彫刻家にとって特に強い意味があったのではと考えています。

良寛を高く評価し、それを広報した人物として、夏目漱石が上げられると思います。
彼の「則天去私」を体現する姿として、良寛を評価しました。
詩人で「大愚良寛」を著した相馬御風や、書家の会津八一も、良寛を世に広めた人物でしょう。
また、北川フラムの父親の北川省一もまた、良寛研究を行います。
こういった人の手で「良寛」のイメージが作られていったのですね。

先に漱石の「則天去私」を体現する姿としての良寛と書きましたが、まさに良寛のイメージは無垢、無私です。
仏教では、本来無垢である心に塵が溜まり、心を曇らせていると考えます。
その塵を払うのが修行であり、本来の無垢の姿こそが仏です。
私は「彫刻家にとって特に強い意味」とは、ここにあるのではないかと考えます。
木を彫り、像を立てていきながら、本来の姿を探していくこと、そうして生まれた作品とその思想が「無垢」を良しとし、無垢である良寛と結びついたのではないでしょうか。

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