2012年10月27日土曜日

陽咸二 原型「第十六回全国中等学校優勝野球大会」バックル


全国中等学校優勝野球大会とは、現在の全国高等学校野球選手権大会にあたる大会です。
第十六回大会は、1930年(昭和5)に行われました。
当時、この大会のメダルやバックルは彫刻家たちによって制作され、日名子実三や齋藤素巌、朝倉文夫らによるものがあります。
このバックルの原型は陽咸二です。明治31年生まれの陽は、小倉右一郎に師事し、帝展では特選を取るまでとなります。そして、日名子実三や齋藤素巌らの「構造社」に加わり、メダルなどの制作を行います。
帝展時代には、制作した裸婦彫刻が風俗上の問題として取り上げられて話題の作家となり、
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=106800
また現代では抽象彫刻の先駆けとして紹介されます。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=68465&isHighlight=true&pageId=4
しかし、その制作する雑器の類は、日名子実三や齋藤素巌がレリーフとして成立しているのに比べ、伝統的というか、漫画的というか、どこか俗っぽい作風です。
このバックルもバットやグローブを手にした野球をする阿修羅像がクモの巣のようなグランドを背にするという、漫画な作り。
当時の彫刻界をどこか斜に構えた感じが、この彫刻家の魅力の一つになっているのでしょう。
陽咸二は、このバックルが球児に渡された5年後、1935年に38才の若さで亡くなります。
1935年は、日本の彫刻にとって大きな損失の年であり、その年、堀江尚志(38才)、藤川勇造(53才)、木村五郎(37才)、牧雅雄(48才)、橋本平八(39才)ら若き彫刻家たちが亡くなっています。(括弧内は享年)彼らが終戦を生き抜いていたら...日本彫刻史はまた違ったものになっていたかもしれません。

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